浜松城は、その姿や石垣などにも魅力や価値がありますが、周辺の史跡の価値がかなり高い地域なのではないかと感じています。今回は、浜松城から三方原古戦場へと向かう道などを紹介していきます。
浜松城から北に向かう
浜松城のすぐ傍に、国道152号線と257号線が通っていますが、今回通るのは国道257号線です。多少の誤差は当然あるとはいえ、ここから三方原古戦場に向かう道は、まずは武田軍を追撃したルートと考えて良いでしょう。途中右手に犀ヶ崖と資料館などがありますが、ひとまず時間軸に従って通過します。ここはまず「武田信玄を追え!」の精神で突き進みます(当時と違って車で移動しますが)。
三方原古戦場に続く道
長閑な農村地帯、と表現して良いのでしょうか。脇見運転にならない程度に見る車窓は、当時から付いている「原」という地名に表れている風景です。
ここで一つご注意を。
「みかたがはら」と呼ばれる戦い、そして古戦場。中には「三方ヶ原」と表記されているものもあり、どちらもそれで通用するかと思います。
ところが……カーナビに入れる際、「三方ヶ原」と入れてしまうと、銀行か郵便局か、何かの支店しか出てきません。「三方原」で探してみてくださいね。ちなみに、カーナビの目的地には「三方原墓園」で入力すると良いかと思います。
三方原古戦場
先程触れた、三方原墓園の駐車場の隅にポツンと建っているのが、三方原古戦場と記された石です。興味がなければ……いや、下手をすると興味があってもなお、見過ごしてしまうかもしれません。でも、当時のことはなかなか分からないから、「この地で始まった」という明確な資料がなければ特定は難しいですよね。絵巻に山でも写っていればいいのですが、この辺りは「原っぱ」ですし、そもそも三方原合戦の絵とかが存在すると聞いたこともないですし。せいぜい市町村規模が載る地図で「まあだいたいこの辺で行われた」と手のひらサイズの円を描かれるくらいの具体性しかないように思うのですが、どうなんでしょうね(似たような現象として、いずれ紹介する中では桶狭間古戦場なども「こんな感じなのだろう」と考えています)。
三方原
一つ心残りなのが、ここで風景の写真を撮らなかったことです。民家などが写り込んで控えたのもありますが、言葉よりも「(現代の建物や道を除けば)こんな原っぱなんだよ」と分かる、地形を示す写真とか撮影できなかったのかな……と。
浜松城でも触れましたが、もう少し心と時間の余裕があるときに再訪したいと思っています。
というのも
「追撃途上、武田軍に待ち構えられていた」というのが通説ですが、「こんな平地で、どの時点で気付いた(どの段階まで気付かなかった)のかな」という疑問が広がったのです。いつか現地を見て確かめたいと思います。
敗走の道
三方原古戦場は、その碑を見て立ち去りました。空いていたとはいえ、墓地に来られる方の駐車場ですからね。邪魔にならないように……と考えると、居心地は悪いものです。
そして、徳川軍が敗走した「古戦場から浜松城までの道」……要するに、元の道を引き返します。
ここから先は後編に譲ります。後編は「犀ヶ崖」を中心にお送りします。ここは大河ドラマを見ていた方は是非訪れたい場所です。実際どうかはともかくとして、ドラマでは名シーンとなった「人」や「場所」が見られます。