副業・ライター

壊れかけの水鳥と真夏の過失~3000文字チャレンジ「20歳の頃」~


20歳。
その頃というと、どうしても学生寮での思い出話になってしまう。
西暦1990年、平成に入ったばかりの世の中。バブルの終焉を迎える一歩手前の時代である。街では浪漫飛行や真夏の果実などが流れ、カラオケなるものが一般的になってきた時期。アルバイトの帰りに仲間とよく歌っていたのを思い出す。そういえば、ブルーハーツもよく歌って盛り上がっていた。
お金がない……のかどうか、今思えば怪しいところもある。カラオケにボーリング、ゴルフの打ちっ放し……確かに大金はなかったが、アルバイトで稼いだお金は全て自由に使えたため、今考えれば随分贅沢な使い方もしたものだ。
それでもやはり、寮生活を行なっていた恐らく全員が「貧乏生活を実感」していた。

大学の学生寮と聞くと、キャンパスのすぐ側にあって楽に通学できる立地を想像するかもしれない。しかし、実際は歩いて通う気が全く起きない距離にあった。そこで自転車が登場するわけだが、大学のキャンパスは海沿いにあり、周辺はどの時季も風が強い。しかもどういうわけか、いつも行きも帰りも逆風なのだ。寮生の間では「七不思議」の一つとされ、大学で休んだ理由として「風が強かったから」というのはギャグではなく真顔で告げるべきものであった。
また、学生寮自体が郊外にあるため、普段の買い物も簡単ではない。当時コンビニも出始めてはいたが、地方都市の更に郊外ではどこにでもあるものではなかった。
そこで考えるのが、車の購入である。アルバイトで維持費などは稼がないといけないが、車があれば行動範囲も広がるし、学校にも行きやすい。

……え? 車で通学?

時効だから白状する。そういう時期もあった。
大学の通学に車を使うなど当然禁止されていた行為だ。大学の駐車場に停めてはいけない……どころか、本来は進入も禁止されていた。当然といえば当然であろう。しかし、当時キャンパスにあった駐車場は無駄にだだっ広く、入ってしまえば停め放題。そして、寮生の間で代々「警備の緩い門」の情報も引き継がれていた。

※卒業して10年程経ったとき、研究員として大学に残った後輩に聞いたところ、だだっ広い駐車場は無くなり、そこに施設が建ったとか。「良くも悪くも」「色んな意味で」平和だった時代の話であり、時代が変わり事情も変わって警備も厳しくなっているはずなので「門の突破」や「無断侵入・無断駐車」が今のご時世ではシャレにならないことを、念のために申し添えておく。

購入する車の話に移ろう。学生の経済力で購入できる車は当然限られる。もはや死語かもしれないが、当時そんな学生が憧れていたものが

パワーステアリング

そして

パワーウィンドウ

である。

まずはパワーステアリング。
こちらは当時でも一般的になりつつあり、余程古い車でないと未装備ということはなくなっていた。しかし、古い車を運転すると違いを実感する。ハンドルが重く、片手で操作できない。先輩方からすると、片手で楽々と操作できる「パワーステアリング」には相当の憧れがあったそうだ。
そして、私達世代にとって憧れなのが、もう一つの機能だ。
ボタン1つで涼し気かつスムーズに座席横の窓を開け閉めできるパワーウィンドウ。今の時代は当たり前の装備となっており、むしろ世代によっては「窓が手動式の車」なぞ見たこともない人もいるのであろう。しかし、当時の中古車情報紙(これも死語か?)では、ひとケタ万円の車に装備されているときは誇らし気に「パワーウィンドウ」の文字が踊っていたものだ(ちなみに、二桁を超えてくると「フル装備」という誇らし気な文字が並ぶ)。
繰り返しになるが、旧式の車には取手が付いていてクルクル回す手動式の窓がついていた時代であった。手動式だと、開けるときにスムーズに動かせず、どうしても「グイッ、グイッ」と窓が下りていき「手動です」とアピールしているような動きになる。また、クルクルと必死に手を動かして開ける姿が若者の目から見て格好悪く感じられた。しかし、背に腹はかえられぬ。その部分は妥協して、背丈に合った車を購入する。

ある日のこと。
私達は、仲の良かった女の子達をドライブに誘うことに成功した。こちらの車は3台。男4人、女の子も4人で片道1時間半かけて海に出かける計画だ。近場にも海はあるが、1時間も走ればその「青さ」が格段に違う。まさに「青い楽園」のようだ。そして、座席もすんなり決定。そこそこいい雰囲気になっていた2組が「2人乗り」で、残りの4人が1台に乗り込む。私は、仲良くなっていたクリクリお目々の女の子との「2人旅」に早くも興奮を抑えきれずにいた。同時期に買った車は、女の子達には初見参。地図を広げてドライブコースを念入りに設定し、食事の場所も何となく当たりをつけ、当日を迎えるだけとなりつつあったとき

「ちょっと待って」

1人の男が口走った。

「パワーウィンドウみたいにできたら、格好良くない?」

彼が言うのは、こういうシーンだ。
女の子の待つ場所に車が到着する。そこで声をかけるとき、グリグリと窓を手動で開けていては格好悪い。パワーウィンドウのように涼しげ、かつスムーズに開け

「よぅ、待ったかい?」

なんて気取って右手を挙げる。

「つかみはオッケー(当然死語)」
ってところだ。

その話に、私達は乗った。
車の所有者が練習を始める。右腕は窓のところに置いたままで左手を下からそっと伸ばし、まるでパワーウィンドウのようにスムーズな動きで手動ドアの取手を回す。

「まだ動きが不自然だよ!」
「そうか?」
「下見たら手動がバレるって!」
「見ずに動かさないといけないのか」
「当たり前じゃん。全然ダメだね」
「だって、重いんだぞ! 簡単に言うなよ!」

そう。手動の窓を開ける取手を回すには力が要る。そんな簡単にできるものではないのだ。
「これじゃ、パワー要るウィンドウやな」
ドライバーの1人である関西人が発したネタもキレを失うほど、私達は疲れ切っていた。しかし、特訓(?)の成果は徐々に現れ、外からチェックしていた奴によると、何となくそれっぽく見えるようになったらしい。

見えるところでは涼しげに、中では必死に動く。それはまるで、池をスイスイ進んでいるようで水面下では足を必死に動かしている、水鳥達のように。私達はこれを「水鳥大作戦」と読んだ。何が大作戦なのか記憶にない。流行りのドラマか映画にそんな言葉でもあったのであろう。

いよいよドライブの当日を迎える。女の子を迎えに行くため(今思えば)ボロボロの愛車3台が次々に出発する。カーステレオには前日までにCDから録音・編集したカセットテープ。車中に音楽が流れる。

壊れかけのラジオ

いやいや、壊れかけはあんたの愛車やろ

なんてツッコミを切り裂いて、車は走る。そして、待ち合わせ場所にたどり着いた。

水鳥大作戦が、いよいよ本番を迎える。

車を持っていない1人が車から降り、女の子を車に誘導する。そこへ水鳥共が一羽、二羽……そして私も、お目当ての子に向けて軽やかに右手を挙げながら、左手で必死に窓をオープンさせた。

前方の水鳥達を見る。

……

車に乗り込んでいく女の子達。

……

ちょっと待て。

水鳥達は、当然想定すべきであった想定外に気付き、色をなす。

女の子達は、今からこの車に乗るのだ。

何ということだ。

窓が自動か手動かなど、乗った瞬間に分かるではないか。

「よろしく〜 ……」

乗り込もうとした女の子の視線が取手のところで止まり、チャームポイントだったクリクリお目々が更に見開かれていく。

その表情は、まるで……

……あ……うん、行こうか……

……あ……うん、よろしく……

足元をしっかり見られた水鳥が

豆鉄砲を食らった鳩を横に乗せ

片道1時間半のドライブウェイ、青い地獄行き。

静かな車内に、真夏の果実が虚しく流れる。

涙が溢れる 悲しい季節……

声にならない。

もちろん、その子とそれ以上の進展などあろうはずがなかった。

……

それから十年近い日が経っていただろうか。私は社会人になり、その頃のことはいい思い出となっていた頃。何かの機会にどこかの公園に行き、そこで三羽の水鳥達が縦列に池を進んでいく様子を見た。……横に鳩はいない(当たり前だ)。彼らの行く先には、あの頃の私達のような青い楽園でも待っているのだろうか。
涼しげに進む彼らの水面下での努力を私は知っている。私達と同じように……って、あの頃のバカな私達と重ねるのはさすがに水鳥さんに失礼だろうけども。
その去り行く後姿に、老婆心ながら心の中で声をかけた。

「女の子に声をかけるのなら、水面下を見られないような相手にしなさいね」

と。

蘇る、あの頃の思い出……

あの日
私の車の助手席に座っていた
クリクリお目々の、女の子の記憶。

そういえば

彼女は水泳部だった。

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