愛知県東部の新城市へ、歴史を辿るドライブ。設楽原の古戦場を歩いたあと、今度は長篠城に向かいました。
前回までのお話は、以下のリンクをご覧ください。
愛知県新城市をドライブ~名古屋から新城インターチェンジへ~
愛知県新城市をドライブ~戦国史探訪・長篠設楽原古戦場を歩く~
長篠城跡へ
主戦場とされる設楽原の古戦場を後にして、次の目的地へ。信号などがスムーズなら車で10分かからない場所に、長篠城跡があります。設楽原古戦場から進むと右手に磔(はりつけ)にされた人の肖像画が見えて……それが目印です。
個人的に、この長篠城は親戚の家が近く、もう両手では足りない程訪れています。史跡保存館の展示物も、中身と配置が変わっていなければ案内ができるくらい(笑)なので、今回は史跡保存館の入場はパス。
本当は、この記事用に写真だけ撮って退散するつもりでした。それでも、来るたびに新しい光景を見つけて結局長居してしまいます(とはいえ30分くらいですが)。
長篠城の特徴
長篠城は、地形の利点を最大限に活かしたお城であったことがうかがえます。豊川と宇連川という大きな川が合流する地点に作られていて、その2方向から攻めるのはかなり難しかったはずです。また、残りの2方向も堀をめぐらせて、強固な要塞が出来上がっています。守る側から見ても、水が豊富にあるので籠城しても比較的長時間耐えられそうです。
現存する建造物はありませんが、石垣などから当時の様子が分かるような気がします。難攻不落であるが故に、この城を落とせば逆に要所として守りを固められる。武田軍が大軍で取り囲んでどうしても取りたかった、その理由が分かりますよね。
現在の長篠城
先程も触れましたが、建造物は残っていません。現在は本丸跡の「広場」や石垣などから当時を想像するしかない状況です。その代わり、史跡保存館があって当時の様子などが展示されています。ここは、初めて長篠の合戦を巡るのであれば必見だと思いますよ。
あと、長篠城跡の一部が削られ、そこにJR飯田線が走っているところも特徴的かもしれません。
鳥居強右衛門(とりいすねえもん)
少し、合戦の有名な逸話を紹介しておきます。歴史好きの方は既にご存知だと思うので、読み飛ばして下さい(^_^;)
先程「磔(はりつけ)にされた人の看板があって、それが目印」といった道案内をしました。その「磔にされた人」というのが、今から紹介する鳥居強右衛門です。
鳥居強右衛門は、長篠城で守っていた兵(城兵)の一人でした。長篠の合戦が起きる前のこと。攻めてきた武田軍に城を包囲されて、長篠城はピンチを迎えます。そこで、城兵のうち一人が長篠城から抜け出して、囲んでいた敵をかいくぐり、織田信長と徳川家康に援軍を要請しようという話になりました。その「包囲抜け出し→援軍要請」の役目を引き受けたのが鳥居強右衛門です。
川を潜るなどして敵の包囲から抜け出した鳥居強右衛門は、急ぎ徳川家康のもとに向かいました。長篠城に武田軍が押し寄せていることと、現在の状況を伝えて、長篠城に援軍を送ってくれるよう織田徳川両軍にお願いをし、了承されます。
首尾よく援軍の要請に成功した鳥居強右衛門ですが、こんな逸話があります。
「織田信長が労をねぎらい、くつろいでから援軍と一緒に長篠城に向かうことを提案した。しかし強右衛門は『早く仲間に知らせてあげたい』と固辞し、その日のうちに長篠への帰路についた」
そして、長篠城への帰路。今度は城に戻るところを、包囲していた武田軍に捕らえられてしまいました。
ここからは、演劇風にしてみます。もちろん台詞は想像をもとにした創作です。
武田兵「お前の命、助けてやってもいいぞ。城に向かって『援軍は来ない』と伝えろ。そうしたら助けたうえに、こちらで高給で召し抱えてやる」
鳥居「……・・・えっ、マジで? やるやる、あいつらに援軍が来ないと嘘をつけばいいんだろ? 楽勝じゃん。でも本当に給料上げてくれるんだよね」
武田「ああ、約束する」
〜長篠城近くの河原〜
武田「さあ、やれ」
鳥居「あいよ。……長篠城のみんな!! 俺だよ、強右衛門だよ」
城兵「おお〜!!」
鳥居「今織田様と徳川様に会ってきたんだけどさ」
城兵「ざわざわ」
武田「ニヤニヤ」
鳥居「援軍は……今こちらに向かっているぞ!! 頑張れ、もう少しだ!!」
城兵「オオオオオ!!」
武田「貴様!磔にしてやる!!」
こうして鳥居強右衛門は磔にされ亡くなりましたが、城兵達に希望を与えました。その後援軍が到着して結果的に長篠の合戦が起き、城兵達は助け出されたそうです。
こうして見ると、織田徳川にとっては鳥居強右衛門こそが最大の功労者だったのかもしれませんね。
史跡保存館
長篠城跡の第一駐車帯近くにある建物にあるのが、長篠城址史跡保存館です。前述の鳥居強右衛門の話をはじめ、鉄砲など、歴史好きにとっては興味深い展示物があります。
JR飯田線
飯田線の鳥居駅から長篠城駅までの区間が、長篠城跡の本丸横を通っています。一部石垣を壊して通している箇所も見られますね。歴史的には色々あるでしょうが、地形を見ると、この辺りの皆さんの交通網を確保するためにここを通すしかなかったのも分かります。
言い換えれば
飯田線に乗っていれば、長篠城跡が見え……るでしょうか。かなりの観察力と動体視力が必要だと思います。飯田線に乗る機会があれば、どれだけ見えるか試してみてください。
ここからの線路の光景は、何度も通った中で初めて撮影しました。
長篠設楽原パーキングエリア(下り)
訪れた順番は違いますが「合戦つながり」で長篠設楽原パーキングエリアを紹介します。
前回、長篠設楽原パーキングエリアの上りは武田色が強い、という話をしました。下りは織田色が強く、実際にパーキングエリアから歩ける範囲に織田信長本陣跡があります。
パーキングエリアから本陣跡まで整備されているので、階段を使って登ってみます。
木々に遮られて景色は見えませんが、当時は恐らく設楽原も見渡せたことでしょう。設楽原古戦場からそこそこ離れている場所での「高みの見物」に見えますが、大きな軍勢の総大将ですからね。ちょっとやそっとのアクシデントではやられないよう配慮するのは当然かもしれません。
やぐらのようになっている所を上がると、合戦とは別に遠くが見渡せていい景色です。
遠く(写真右側)に光るのは三河湾の海面でしょうね。
かなり語ってしまった「長篠設楽原古戦場紹介」でしたが、これで終了です。本当はもう少し行きたい所もありましたが、キリがないので(^_^;)
次回は、その地域から30分くらい車を走らせたところにある「四谷千枚田」の風景を紹介します。
次回からはまた淡々とお伝えできるよう努力しますので(景色はかなり感動しましたが)、次回もどうぞお付き合いください。