副業・ライター

加齢なターン~3000文字チャレンジ「笑」~

本業の勤務中。
お年寄りと会話する機会が多い。
とはいえ
法律系(相続関係)のコンサルタントという職業柄
真面目な相談話ばかりではある。
その中で、ふと訪れる雑談の時間が楽しい。
そして
お年寄りが相手だと、この歳にして「お兄ちゃん」呼ばわりされる。
これもなかなか嬉しいことだ。
本当に若返ったような
いや、実際にお年寄りから見たらただの若輩者なだけのような。
……どちらにしても
お兄ちゃんと呼ばれて気分が良ければ何でもいい。
そう考えている時点で、精神年齢はその程度なのだろう。

さて。
相談なのだから、悩みの解決が主である。そのため、それなりの世代までは要件のみで片付けるケースが多い。逆に、和ませるためにこちらから雑談を振るくらいだ。
いっぽう、相談に来てお喋りも多くしていくのは、断然お年寄りが多い。
お年寄りが、外に出てまでわざわざ話しに来るのは、2択だと推測する。
よっぽど困って、聞いて欲しい悩みがあるか
または
よっぽど暇で、ただ何かしらの話を聞いて欲しいのか。
そこを見極めるのも我々の仕事。
効率化を図るのであれば
前者の悩み解決に時間を割き
後者は適当なところであしらうのが良いのであろう。
しかし、効率良く最短距離を進む人生ってどうなんだろうか。回り道にこそある風景が
……いやいや、私はここで人生を語るつもりはなかった。

現在のような小難しい相続などの法律相談だけでなく、もう少しくだけた場所で勤務していたときのこと。そこにも、会う度に小咄を仕入れてくるお爺さんがいた。
毎回何かと用事をこしらえては、仕事中の私達を呼び出す。
用事なぞ、あってないようなものだ。
その用事を数分……下手をすると数秒で済ませたあとは、クソ忙しくて早く仕事に戻りたい私達職員を捕まえて、仕入れてきたネタ話を聞かせる。
聞いている私達としては
忙しさの合間に清涼剤を一服与えられるか
ストレスという名の毒を一服盛られるか。
要するに、仕入れたネタ話の「当たり外れ」次第といえる。

しかし、個人的に非常に残念なことが1つあった。
話を持ち込む彼の「ネタ元」を知っているケースが多いのだ。
私の祖父は、落語が好きだった。
そのため、小さい頃祖父のところに遊びに行くと、カセットテープなどでよく落語を聞かされていた(たまたま聞こえてきていた)のだ。
オチを知っているのに笑わなければいけない。
しかも、落語家ほど話はうまくない。
これはなかなか苦痛である。
ところが、年月を重ねるにつれて「笑う演技」は我ながら円熟味を増し
そんな私が本気で喜んでいると信じ、更に喜ばせようとお爺さんも必死になる。
なんという悪循環だろうか。
そして、この日もお爺さんがやってきて、私を捕まえて語り出した。

一人っ子として両親から可愛がってもらっていた子に、弟ができた。すると、両親は弟を可愛がるようになり、自分のことを構ってくれなくなった。弟さえいなければ、また両親に甘えられる……そう考えたその子は、弟を亡き者にしようという恐ろしい計画を立てる。彼はあらゆる手を使い、毒薬を手に入れた。
寝静まった夜。彼はとうとう犯行に及ぶ。寝ている母親に近付き、弟が大好きで毎日しゃぶっているおっぱいに、母親が起きないよう注意しながら毒をたっぷり塗り付けた。
これでまた両親はボクのものだ!
翌朝に目を覚ますと、弟が元気に泣いている。
あれ? と周囲を見渡したとき
玄関にご近所さんが駆け込んできた。
「おい!隣のおじさんが亡くなったってよ!」

お爺さん、申し訳ないが私はこの話も知っていた。「亡き者にする」「毒」という言葉が出てきたあたりから「さて、どうやって落とす?」と様子を伺っていたのだ。確か、この小咄ができた当初のオチでは、亡くなるのはお父さんだったはず。それでは当たり前(なのか??)ということで、被害者が入れ替わったようだ。そうか、隣のおじさんを亡き者にしたか。
当時私が一番驚きかつ面白かったのは、実は
「普段大人しく、すましていた職員のお姉ちゃんが、オチで一瞬馬鹿笑いした」
ことだった。
(私は別の理由で)爆笑していた周囲を見ながら、満足げに去るお爺さん。
さぞや気持ち良かったことであろう。

また別の日。
おじいさんが あらわれた!!
……って、どこかで見たことある平仮名達だな。
たたかう ←
にげる
はなしをきく
笑い死にしたら、教会でふっかつさせてくれるのだろうか。
……時を戻そう(これもどこかで聞いたな)。

全く泳げなかったお婆さんが、何を思ったか水泳教室に通い始めた。近所のお年寄りも一緒になって通う水泳教室。そこには、イケメンのコーチがいたのだが……お婆さん達はそのコーチが目的ではなかった。

「ところで、お婆さん達は何で水泳教室に通い始めたと思う?」
ボーっと聞き流していると、突然質問が飛んでくることもあるから厄介だ。

……しかし、これも話は読めていた。
正解を 知っているのに 黙り込む
何か知らないが、一句出来た。
「コーチが目的じゃないの?それなら体力づくりでしょ?」
などと、始球式でハエが止まるようなボールを空振りする打者の心境を味わいながら答える。
「違うんだなあ」
お爺さんにとって予想通りの回答だったのだろう。
にんまりとした表情に、こちらも陰でほくそ笑む。

お婆さんが水泳教室に通ったのは、三途の川を泳いで渡るためだった。良い行いをしていれば泳がなくても橋が掛けられるそうだが、お婆さん達は嫁いびりばっかりしてる自覚があったのであろう。全員が三途の川を渡るために必死になった。
毎日のように通った甲斐があり、みんな上手に泳げるようになって、全員が50メートルプールの端まで泳ぎ切るまでになった。
「これで三途の川も泳いで渡れるわね」
と、お婆さん達はみんなで大喜び。
ところが、ある日のこと。
そのお婆さんと同居しているお嫁さんが、水泳の若いコーチに言い寄ってきた。
「コーチ、お願い。何でもするから、あの婆さんにターンだけは教えないでちょうだい」

お爺さんが私の「作り笑い」にご満悦で帰ったあと
他の職員に「どういう意味?」と聞かれた。
「だから、せっかく三途の川を渡って彼岸に行ってくれたのに、ターンを覚えてまたこの世に戻ってこられたら困るだろ?」
と答えると、遅ればせながらといった感じで笑いが起きた。
いや、実はこの話は、私も初めて聞いたときは意味が分からなかったのだ。分かった瞬間からじわじわとボディーブローのように笑いがこみ上げ、しばらくの間は思い出し笑いが止まらなかった。

笑いとは、周囲を楽しくさせるものだ。
面白い話を仕入れたとき
面白い話のネタを見つけた・体験したとき
「これは絶対にどこかでネタにしてやろう」
とほくそ笑むのも、また楽しい。
そして、笑いは健康にも良いとされる。

相続などの相談会の傍ら、お年寄りを集めて「笑いヨガ教室」なるものを開催したこともあった。本当に面白くて笑うだけでなく、笑うように声を出すのも健康に良いという。そして、周囲がそうやって笑っていると、何だか楽しく感じて本当に笑ってしまうから不思議なものだ。
しかし、である。
このとき、私達は救急車を呼ぶ一歩手前の騒動に出くわすことになる。
突然、参加していたおばあちゃんがその場にうずくまり、顔色が真っ青になって冷や汗をかき始めたのだ。
一大事!
と思いきや。
しばらくして復活を遂げた。
おばあちゃん、笑い過ぎてお腹がよじれてしまったのだと。
何事もほどほどが一番である。

それから先、そのおばあちゃんは「笑い死にしかけた女」として話題になった
……かどうかは知らない。
一緒に参加していたご主人に
「ま〜何やっとるんだて。ビックリしたがや」
と名古屋弁丸出しで叱られていたおばあちゃん。
このおばあちゃんは
ご主人のために、ターンを覚えた方がいいだろう。
いや待て。
あれが既に華麗なターンだったのか?
いや、加齢なターンなのか?

真相は、プールの中にある
……のかもしれない。

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