24時間営業しているその店の扉を開けると、パッと明るい光に照らされる。室内はその明るさと裏腹にひんやりとした空気が流れ、コンビニなどのような元気な掛け声は聞こえない。なんとも愛想がなく、何も歓迎されない場所であるが、そこに住む人間は頻繁に……そして当たり前のように、その店を訪れる。
店の入口は、掲示板の役目も担っているのだろう。学校の行事や地域の予定など、そこを見ればすぐに分かるものが貼られていて、通りがかりによく視線を投げかけられる。しかし、なぜだろう。これだけ重宝しておきながら、そこにあるのが当たり前のようだ。まるでブラック企業で働く社員のよう……そういえば、外面だけは白いところが多いのも、ブラック企業と似ているのであろうか。いや、外面も真っ黒で開き直っている場合もあるが。
……もうやめておこう。勘のいい方は一行目から冷蔵庫のことだと分かったであろう。
前回のアジフライに続いて擬人化した冷蔵庫さんに登場願おうかと思ったが、さすがに「冷蔵庫さん」はすぐに気付かれてしまう。
「冷蔵庫」と聞いて、貴方は何を思い浮かべるだろうか。
私がパッと思い浮かべたのが、冒頭の「24時間営業」であり「掲示板」であり「ブラック企業」であった。そして、ネタを考えているときに手書きで冷蔵庫と書こうとして、勢いで「冷庫」と書きかけた。『冷庫って何だよ』→『レイコ』→『ブラック企業で働くレイコちゃんのボヤキ』とつながったのだが……書いていく途中で筆者自身が白け、全てを消し去り、現在に至っている。
ちなみに、レイコちゃんは周囲から『重い』と言われたり、『臭い』と言われたりした挙句、消臭剤まで置かれて憤る設定。『冷たい』ともよく言われて、元カレからはちょっと調子が悪くなっただけであっさり捨てられた。挙句の果てに『ずん胴』と言われ、発言主である持ち主が勢いよく閉めた扉を跳ね返して『ひっぱたく』というネタだった
……と、ボツにしたものをわざわざ紹介する程度に、ネタに未練は持っている。
もうひとつは
「24時間」「やって当たり前」「誰にも感謝されない」「ビールが勝手に冷えていると思っている」等々、ボヤキ形式にしたら、日頃のママさん達の不満に似ている部分も多く「主婦レイコさん」にしようかとか(もう諦めろ)。用もないのに頻繁に覗きにくる子どもたちには優しい顔を見せていながら、最後は用もないのに覗きに来た旦那に向かってブチ切れる、という設定も考えた。
色々考えながら辿り着いたのは、冷蔵庫というものが「無くてはならないもの」だという思いだ。日常で「壊れたら本当に困るもの」の1位か、少なくともほとんどの家庭で上位3位には入るであろう。
しかし、私が学生だった頃、学生寮の自室に冷蔵庫を備えていない友人はたくさんいた。そういえば彼らはどう凌いでいたのだろうか。
その頃の思い出がふつふつと蘇ってきたので、残りは思い出話に費やそうと思う。
バブルも終わりを迎えた頃の話である。学生でも家電製品を持つ者は増え、先輩方から「時代の流れ」のぼやきをよく聞いた。
「いい時代だよな」「俺達の頃は冷蔵庫なんて買えなかった」
……そんな数年で時代は変わらないし、今なら買えるんだから買えばいいじゃないか。
心の中で思っていても、口に出す勇気などあるわけがない。
学生寮は二人部屋だったため、冷蔵庫は1つあれば足りて、どちらかが所有していればそれがお互いの同意で部屋の共有となっていた。
そのため、私の冷蔵庫にも先輩の食糧が普通に入り込んでいたし、それが普通のことだと思っていた。
私の場合は、まだマシ(失礼)な方だったので良かっただろう。
しかし、中には自分で買って入れておいた食糧が「消えて」いたと話す友人もいた。
帰ったら自室で飲み会が行われていて
「おお、お帰り! まあ飲め! これも食べろ!」
と「歓迎」されたとか。
「でもさ、聞いてくれよ! それ俺の酒だし、つまみも俺のだったんだよ!」
(※大学1年生で「俺の酒」とか……まあ、時効ということで、良い子は真似しないでね♪)
我々同級生は『さすがにそれは抗議するべき』と、彼にけしかけた。
「みんな簡単に言うけどさぁ、感情のままに言うわけにいかないでしょ。台詞を紙に書いて練習してから先輩に言いに行ったよ」
私達に背中を押され、抗議に出向いたあとの彼の言葉だ。
お人好しの彼らしいな、と思った。私だったら感情的になっていたかもしれない。
酔いが覚めた諸先輩方も、彼の抗議を受けてさすがに平謝りだったらしい。
それ以降も、彼の冷蔵庫には常に先輩方が買った食糧が入れられたが
「その代わり、何でも自由に取って食べていい」
という『権利』を彼は手に入れた。中には、明らかに彼の為に買ったと思われる、彼の大好物を頻繁に入れてくれる先輩もいたという。
彼がもしあのとき、感情的になって抗議しに行ったら、この『厚遇』は得られなかっただろう。
……まあ、『放っておいてくれ』という意見もあるだろうが、学生寮という空間では、ある程度受け入れる必要のある部分だったのだ。
冷蔵庫が共有となっていた場合、使われ方はその住人達によってそれぞれ異なっていた。右半分と左半分に分ける、上の段と下の段に分ける、お互いのものにマジックで名前を書く、等々。マジックで名前を書くとか、今思えば『キャンプや修学旅行の下着かよ』って感じなのだが……当時はお互い大真面目だったのだ。
また、先程の話と繋がるが、先輩が開放的な方だと『部屋の住人以外の奴等も自由に使っていいぞ』というルールになり、当たってしまった同室の後輩は苦労することになる。そこで(さすがにそういうルールを作る場合は元々先輩所有なので)自分用に冷蔵庫を買うパターンも多かった。
元々意思疎通ができる人間であれば、何の問題も無く自分用の冷蔵庫を置ける。
しかし、意思疎通が苦手だったり、元々関係が微妙だったりした場合には、小さな部屋に冷蔵庫が二つあると奇妙な空気が流れる。
「この部屋には既に1台あるのに、何で?」
解放的な人は、所有物を不特定多数に『覗かれる』不快さを理解できないケースが多い。自分が平気だから……なのであろう。そこで起こるのが『〇〇号室不仲説』である。事実として、部屋の住人同士の仲が悪いと共有物が極端に少なくて分かりやすかった。しかし……好き嫌い以外の部分で「自分で使いたい」ものは当然あるはずだ。
「自分の冷蔵庫を持ちたい」同級生の中で、私達に相談を持ちかけてきた奴が実際にいた。先輩との関係を保ちながら自分用の冷蔵庫を持つ方法を一緒に考えて欲しいというのだ。『何でそのまま伝えないの?』『先輩に直接そう説明して、理解してもらえたら?』我々の答えだった。
しかし、その同級生はそれに従わなかった。
ある日のこと、彼の同室である先輩が訪ねて来た。
「あ、そうか。お前はもう冷蔵庫持ってたな」
「え? どうしたんっすか?」
「いやな、〇〇(件の同級生)の家から冷蔵庫のお歳暮が届けられたらしいんだ」
「はぁ」
「奴は仕方ないから自分用に使うって言ってんだけどさ。冷蔵庫のない部屋で使ってもらえないかと思ってな」
「そ……そう……なんすか」
「どこか目ぼしい部屋あったら教えてくれや。じゃあな」
そのとき、吹き出さずにその先輩を見送った私を誉めてやろうと思う。
言うに事欠いて「お歳暮で冷蔵庫が来たから仕方なく……」とか
百歩譲って嘘で凌ぐにしても、もっと上手い嘘をつけなかったものか。
下らない嘘をついた同級生
「悪気のカケラもなく」「親切だと思って」「他人の冷蔵庫の」行き先を探る先輩。
二人の姿を思い浮かべると、もう今でもジワジワと笑いがこみ上げてくる
……そう、他人事だから。
やがて、件の先輩は冷蔵庫のない部屋を見つけ、同室の同級生に嬉々としてそのことを告げたらしい。
だが、肝心なところで申し訳ないが、同級生がその後どういう行動を取ったかの記憶がない。
なぜならば、彼とはそれほど親しくなかったから……
でも、学生寮に2年以上在籍した同級生とは(仲の良し悪しは別として)自然と親しくはなる。
それが記憶に無いということは、彼はそこで学生寮を出たのかもしれない。
やっと手に入れた、冷たいお歳暮を小脇に抱えながら。