コインランドリーに通ったことがある。
大学二年生だったか三年生だったか、そんな頃の話だ。
きっかけは、恐らく大方の予想通り。
使用していた洗濯機が故障したからである。
ところで
貴方は、コインランドリーにどのようなイメージをお持ちだろうか。
四半世紀以上前の「あの頃」と今では
私の中では、コインランドリーに対するイメージは全く変わっていない。
雑居ビルの一階で、謎の存在感を示すスペース。
数年前はコンビニだったのか、駄菓子屋さんだったのか
それともピザ屋さんだったのか。
そして
その近くをただ通りがかっただけで
中から洗剤の匂いと湿気が漂ってきて、自らの存在をアピールしてくる。
使っている人は、洗濯機が故障したか、それとも引っ越しの合間か
あるいは一人暮らしの学生か社会人か。そんなパターンが多いのだろう。
ひとつ言えるのは
あの時代、コインランドリーに通う時間は嫌いではなかった。
コインを入れて洗濯機をスタートさせ
時間を見計らって取り出しに来て
今度は乾燥機に洗濯物を突っ込む。
しかしながら
今のようにスマホのない世の中である。
携帯電話といっても、大きな持ち運び用の……
そうそう。
平野ノラさんのネタそのままの世界。
だから、当然ネットもゲームもなく、時間潰しの方法がない。
それでも、終了時間の10分前にはいつもコインランドリーの前にいた。
そこで、まだ乾燥機が回っているのを確認した後
そこから一本奥に入った旧道を散策する。
コインランドリーのあった国道から1本入ったその通りは
我々学生の間では「ジジババ通り」と呼んでいた道である。
それが地元の皆さんも同じように呼んでいたのか
学生だけが呼んでいた名称なのか、実態は知らない。
ただ、名前になるほど高齢者を多く見かけた記憶はない。
この歴史を感じる旧道を何となくふらつくと
タイムスリップしたような不思議な感覚に包まれる。
何か悩みがあっても、そこを抜けただけで
些細などうでもいい事に変えてくれるような。
ひょっとしたら
そこを通っていた先人達の魂か何かが
「若者よ、下らないことで悩んでも仕方ないだろう。前に進みなさい」
なんて声をかけていてくれたのかもしれない。
コインランドリー通いが嫌いでなかったのは
この散歩の時間が好きだったからなのかもしれない。
そして、気分転換を終えて戻った頃には
乾燥機が大きな音を立て、最後のひと頑張りの真っ最中だった。
コインランドリーには、それほど新しい洗濯機や乾燥機が
置かれているイメージはない。
この部分に関しては、四半世紀前の記憶であり
今現在の話でないことはお断りしておく。
そして、それらの洗濯機や乾燥機は、通う度に形が微妙に変わっていた。
まだスパルタ教育が許されていた時代、だからかどうかは知らない。
とある三英傑に例えれば
「動かねば 蹴飛ばしちまえ 洗濯機」
といったところか。
また、よせばいいのに
洗濯機もそこで素直に動いてしまうから
余計にスパルタの度が増していくのかもしれない。
いや、待てよ。
「動かしてみよう」や「動くのを待とう」では
中の句の文字数が合わないから蹴飛ばすのだろうか。
……我ながら支離滅裂になってきたので、強引に話を戻す。
あるとき、私はその「スパルタ教育の現場」に鉢合わせしてしまう。
「教育者」は、普通に立っていれば声を掛けたかもしれないくらいの
清楚な雰囲気を漂わせた白鳥のようなお姉様であった。
お姉様は私の存在に気付くと、何事もなかったかのように
蹴り出した足をそのままクリンとターンさせ
視線を逸らして、その空間から颯爽と姿を消していった。
ガン! という、けたたましい音の余韻を残したままで。
「開けてはいけないと申し上げましたのに。見てしまったのですね」
は鶴のお話か。
いや、あのお姉様は白鳥や鶴ではなく、サギだったのだろう。
ウィン、ウィン、キュルキュル、ゴゴゴ。
やや変形した洗濯機の動作音が、悲鳴に聞こえる。
スパルタ教育の下で
24時間勤務のブラックな労働環境で働き続ける洗濯機。
私はそのとき、生まれ変わっても
コインランドリーの洗濯機にはなるまいと心に決めたのだ。
(当時は当然「ブラック」などという言葉もなく
4K……という言葉すら生まれていたかどうか定かではない)
そんな私のコインランドリー生活は、1か月ほど続いた。
しかし、ある日のこと
コインランドリー生活に終止符を打つきっかけとなった大事件が起きる。
コインランドリーから帰り、洗濯物を畳んでいると……
そこに、見知らぬ女性用の下着が。
何というベタな事件だ!
皆さんはそう感じたであろう。
私もそう感じたのだから。
それにしても、まさか本当に遭遇するとは思わなかった。
でも、よくあるからこその「ベタ」なのかもしれない。
「そんなもん、そのままコインランドリーに戻って
返してくればいいだけじゃねえか」
って思いました?
正解!!
タイムマシンに乗って、部屋で下着を持ったまま
1人立ちすくんでいる当時のバカな青年に教えてやって下さい。
その当時の私は、大いに迷った。
これは返さなければならない。
しかし、これを持ってコインランドリーに行く途中で
悪友に出会ったらどうしようか。
実は、私はその手の「引き」が滅法強い。
高校時代の初デートでは、隣県まで出かけたにも関わらず
現地において、親戚中で一番口の軽い叔母と鉢合わせするなど
その恐ろしいまでの引きの強さの例は枚挙に暇がない。
従って、届けたところに下着を探していたサギのお姉様と遭遇し
「キャーエッチ、下着ドロボー!」と蹴りを入れられて
体の形が変わってしまう危険性だって普通にあり得ると考えた
(「あるわけねえだろ」と今なら言えるが、当時は大真面目だった)。
そのとき
冷静になったのか知らないが、手に持つ下着をよくよく見て
(いや、変な見方はしていない。というかそんな心の余裕などない)
結構使い古されていることに気付いた。
それを確認した私は、即座に「捨てる」という手段に出た。
何という愚挙だろうか。選択ミスとは正にこのことだ。
その無くした人にとっては大切な下着だったかもしれないのに。
それから何年も、私は心のどこかで
その「選択ミス」を悔やみ続けることになる。
事件があった翌日、私は電器店にいた。
あと1年か2年持つ程度の、最低限の洗濯機を求めて。
それから四半世紀が過ぎた頃。
海外旅行先のホテルで、再びコインランドリーを使う機会が訪れる。
懐かしい匂いと湿気。
散歩する通りはないけれど、廊下を歩けばそれなりに時間は稼げる。
どこか昔を思い出しながら洗濯機と乾燥機の前に立った。
そこで、私はあの事件を引きずっていた自分に気付く。
我が家の洗濯物を乾燥機の中に入れる際
無意識に、ドラムの中身がカラであることを確認し始めたのだ。
ドラムの中に手を入れたとき・・・手に感触があった。
取り出してみると、女の子の下着である。
またか!! 相変わらずの引きの強さだ。
可愛らしい絵柄のついた、はき古された下着がそこにあった。
はき古された下着は、その女の子にとって
お気に入りである可能性が高い。
増して、海外ともなると持ってくる下着の枚数も多くないはずだ。
私は周囲を見渡し、近くにいた係員さんにその下着を渡した。
私がこのような行動を取れたのは
学生時代の選択ミスがあったからだろう……今ならそう言える。
今でも、街中などでコインランドリーの前を通ると思い出す。
心を落ち着かせてくれた、旧街道。
けたたましい音とともに放たれた、サギの強烈なミドルキック。
そして……淡いベージュのはき古された下着。
洗濯で起きた選択ミスの話……懐かしくも苦々しい記憶である。