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凶器と枕と記憶喪失~3000文字チャレンジ「本」~

 

本。
高校までのそれは、凶器だった。
授業中、教師が教科書などを読みながら教室中を歩いて回る。そこで気に入らない学生がいると、読まれていたモノが瞬時に丸められ、頭上に振り下ろされる。
「パコーン!!」
本とスリッパ。
何故あれ程いい音を鳴らせられたのだろうか。
「あれも教師の必須スキルであり、先生の新人研修で必修科目となっているに違いない」
小学校低学年頃の私は本気でそう思っていた気がする。事実、新任や若い教師は滅多に「凶器」を使用しないし、使用し始めの若い教師から繰り出される一撃はどこかくぐもった音がしていた。

さらに
職員室や教室で、教師の机の前で話をするときは要注意だった。凶器となる本は、軽い教科書から国語辞典などのぶ厚い書物に代わる。必要となれば瞬時に繰り出されるように、机の決められた位置に、その「凶器」は常に置かれていた。
まるで
床の間の、手の届く場所に常に刀を備えている剣術士のように。
その凶器を使われたとき、頭の上まで持ち上げられたあと、やや勢いをつけて教師の手から離れ、重力に任されたまま脳天を直撃する。
その一撃は
「ドスっ」
そこに軽快さも音の響きも一切なくなる。
私は運良くその凶器の餌食になったことがなかったが、被害者に聞くと、一瞬クラっとなってその場に座り込みたくなるそうだ。

 

そういえば
教科書にパラパラ漫画を書いている者も多くいた。
小松辰雄のピッチングフォームだと言って、書かれていた漫画。
ある日、教室で突然取っ組み合いの喧嘩が始まった。後から話を聞くと、一人がイタズラで「小松辰雄」の顔部分の一枚に、画家のダリのようなヒゲを書き足したのだという。
「どうでもいい。何でそんなことで」
恐らく誰もがそう思ったはずだ。熱烈なドラゴンズファンである私ですらそう思った。
しかし、落書きされた彼にとっては一大事だったのだろう。
なにしろ、球速150キロを誇る小松辰雄(他球団で言えば江川や北別府等々)が、投球フォームの間に一瞬だけサルバドール・ダリと入れ替わるのだ。
……やっぱりどうでもいいな。
これも、殴り合いの元となったと考えれば、本は凶器
……少し苦しいこじつけになったのはお許し願いたい。

ちなみに
そのとき、むしろ「被害者」の方が先生に叱られていて、社会の理不尽さを知った(そりゃ教科書に落書きしていた方が叱られるだろう)。

また
義務教育時代
本は別の意味でも「凶器」と化した。
夏休みの読書感想文である。
ドラえもんなどを題材にするわけにいかない。あくまで真面目な物語を読み、それなりの感想文を仕上げなければならない。自由研究と読書感想文。夏休みの児童の精神を痛めつける、まさに凶器と言っていい代物だった。
小学校低学年では、後回しにし続けた感想文を、夏休み最後に半泣きになりながら仕上げる。小学校高学年になると付き合い方に慣れ、既に読んだ本を選ぶなどして読む時間の短縮に取り組む。中学生になると、文頭と文末のあらすじだけをサラッと見て、まるで全て読んだかのように「感銘を受けました」だの、普段使用しない小難しい語句を使用して乗り切る技術を身につけていく。
「そんなことをしていて、お前はどうやってライターになったんだ?」
というご質問にお答えしよう。
この技術があるからライターができるのだ。
……あ、これは私だけの話である。また、必要な部分はしっかりと読んで
……あれ? 私は何をムキになって言い訳しているんだろう。

話が色々巡ったが
『我々の学生時代は本を凶器にすることが許される時代であった』
それが言いたかっただけである。
ここまでの話の感想を書きたければ、この一文を参考にしていただければ、表面上それなりのものが仕上がる。試験の国語(現代文)でよく出題された「筆者は何が言いたかったのか答えなさい」とか『お前、本当に筆者の芥川龍之介に正解聞いたのか?』とよく突っ込まれるやつも、こうして筆者が表明していれば楽だろう。

大学生時代
ここで筆が止まった。
バイト、飲み会、合コン、麻雀、夏はキャンプで冬はスキーで……
私はいつ本を読んだだろうか。
4月になると、1年間に必要となる参考書などを買わなければならない。それに加えて、法学系だと六法全書も必要となる。本の思い出といえば、持ち運びの際に紙の重さを痛感したことくらいだろうか。

いや、ひとつ思い出した。

 

本。
大学時代のそれは、枕だった。
麻雀や飲み会、さまざまな話など、友人の部屋で外が明るくなるまで盛り上がり・語り明かしたあと、そのまま講義の時間まで寝るときに、頭の下に本が敷かれた。敷かれた本は少年ジャンプ、あるいは……(放送自粛)本など。何冊か重ねて高さを合わせ、快眠をむさぼる。全員で目を覚まして外に出たとき、目の前に広がる夕焼け空が輝かしく感じられるくらい、その寝心地は格別であった(お前ら講義は?)。
ただ、大学生になると自由に使える時間が増えるため、徐々に「趣味=読書」の人口も増えてきたように思う(もちろん中学や高校でもいたが、どちらかといえば少数派だった)。恋愛小説、冒険もの、時代小説等々。中には、気になるお姉さんに勧められたといって柄に合わない内容の本を読み出す者も現れた。

「お前、内容分かるのかよw」
「植物の物語だと思ってんじゃねえの?w」
「アホ、分かっとるわ。これは四姉妹の物語や」
「は? 四姉妹がどうすんの?w」
「四姉妹が色々生活しとるに決まっとるやないか。そこで色々あるんや」

ちなみに
彼がそのお姉さんとうまく行ったという記憶はない。
せめて彼に「読書感想文の技術」があれば……
というか
彼が義務教育時代どんな読書感想文を書いていたのかも気になるところではある。
「四姉妹が色々生活していました。色々ありました。面白かったです」
では原稿用紙一枚にもならないはずだが……そこからそれだけの情報で規定量書き上げたのなら、ライターとしてその手法を是非うかがいたい。
彼の部屋もまた、よく溜まり場として我々に使われていた。具体的な記憶があれば面白かったのだが、さすがにそこまでの記憶はない。
だが
彼が読んだ(目を通した)その本も
きっと私達のうち誰かが枕にして眠っていたに違いない。
どこからともなく溢れ出る
若草の香りに包まれながら。

本。
就職してからそれは、日常や現実を忘れさせてくれるものになった。
最後の最後で「単語」でなく長ったらしい表現にした一貫性の無さはお許しいただきたい(ライター失格)。
高校までは歩きか自転車
大学は……そもそも学校行ったっけ(ぉぃ)
そして社会人になり、初めて通勤時間というものを経験した。そこでひたすら小説を読みまくり、多くの作品を読破した。冒険ものを読めば、最寄り駅から職場や家まで歩く間が冒険の場となり、時代ものを読めば、乗り換えなどで割り込みがあると「無礼者、そこへ直れ!!」……と言ったかどうかは知らないが(言うわけない)。
どちらにしても
本を読むと現実逃避できて、精神安定剤のような役割もあるのではないだろうか。まあ、本だけでは(そこにノウハウが書いてあるような事柄は除き)解決できず、結局は現実に戻されるのだが。

最近は、趣味の本と併せて小説も買ってあるが、なかなか読む機会がない。忙しいのかと言われれば、最も忙しいときと比較すればそれほどでもない。いい機会だから、この内容で「3000文字チャレンジ」に参加した今、もう一度小説でも読んでみようか。そう思い、近くの書店で気になった小説を購入し帰宅する。
……あれ?
読み終えた本が並ぶ本棚に、同じ小説があるのを発見した。
何故、私の記憶力は衰えたのか。
恐らく、少年時代に頭に受けた衝撃で脳細胞がいなくなったからであろう。
そうだ、これは本という名の凶器のせいなのだ。

Taka
久しぶりの3000文字チャレンジ、楽しかった♪
Taka娘
てかさ、学生時代ロクなことしていないよね
Taka
昔の大学生なんて、あんなもんでしょ
Taka嫁
真面目に学生やっていた人まで巻き込んで変なイメージつけないであげて
Taka
はい……
Taka娘
本ね。私は今受験用の赤本ばかりかな
Taka
そういえば君はあまり小説とか読んでいるの見たことないね
Taka娘
あんま興味ないかな
Taka嫁
これからだよね(^^;)

過去の3000文字チャレンジは下からどうぞ♪




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