今回から新シリーズを始めてみます。
愛知県を中心とした地域には、戦国時代を中心にした史跡が多く残っています。「三英傑」の出身地であることも影響しているのでしょうね。どれだけ紹介できるか分かりませんが、できるだけ多くの史跡を巡って紹介できればと思います。お付き合いいただけると嬉しいです♪
第一回目の紹介は、長篠城です。
長篠城に出かける
新東名高速道路の新城インターを降りると、目の前に道の駅「もっくる新城」が見えてきます。その手前の交差点を右折し、しばらく道なりに走ると右手に見えてくるのが長篠城址です。
目印は、鳥居強右衛門の看板。
遠征してきた武田軍に攻められ、長篠城を囲まれてしまった中、命がけで抜け出して援軍要請に向かった鳥居強右衛門は、援軍の約束を取り付けた帰路に武田軍に捕まってしまいます。
「城兵に向かって援軍はもう来ないと伝えたら解放してやる」
その指示に従うことはもちろんのこと、その場で拒否してもそのまま囚われるか殺されるかで城兵には何も伝わらなかったことでしょう。
味方のために、いったん従ったふりをして命懸けで援軍の存在を知らせる……どこまで史実通りかとか関係なく、胸が熱くなる話だと思います。
ただ……この長篠城址には子供の頃にも何度か訪れた機会があり、逸話を知らずに鳥居強右衛門の磔図を見ると怖かった覚えがありますね。もう半世紀近く前の話なので、その当時見たのはこの看板ではなく別の何かだったと思いますが。
話を戻します。
鳥居強右衛門が描かれた看板の場所を右折すると、そのまま駐車場に車を進めます。駐車場は比較的広く、公式HPの表示では50台プラス大型バス用2台となっています。イベントなどがなければ、余程のことがないと満車の心配はないのではないでしょうか。週末に行かれる場合は、念のためイベント情報を確認されることをお勧めします。
電車で行かれる方は、JR飯田線の長篠城駅が最寄りです。
長篠城の天守閣は?
長篠城に天守閣は存在していません。中心的な建物といえるのは「歴史資料館」でしょうか。
お城の跡では良くあることで、模造天守がある城跡でも、史実ではそんなに立派な天守閣は存在していなかった……なんてオチもよく聞きますよね。
長篠城址は、お城の跡を、当時を想像しながら歩く場所と考えた方が良いかと思います。お城好きからするとそれこそが「醍醐味」なのですが、観光地として「現状あるものを見に行く」感覚で訪れると「何もない」という感想になってしまうのではないでしょうか。
長篠城のお堀と本丸跡
前述の歴史資料館に向かう前に、まずは本丸周辺を歩いてみます。駐車場に車を停めて、歴史資料館を背にすると、お堀の跡があります。
内堀の跡ですが、攻めるにはかなり苦労しそうな傾斜で、守りの固さがうかがえますね。冒頭の話で武田軍の大軍勢が一気に落とせなかったのも頷ける気がします。
本丸跡に入ってみます。そこは一面の広場で、そこに主となる建物が建っていたであろうことは十分想像できる広さです。
まずは中心あたりに立ってみてもいいのですが、正直なところ、何もありません。長篠城址の面白さは、本丸の周囲を歩くと体感できます。
本丸の入口あたりから、左手のちょっとした高台へと進んでみます。石碑などを確認しつつ……ここでの目的は更に先の場所です。そのまま奥まで進んでいくと、そこからは……
JR飯田線の線路が間近に見えます。頻度は高くありませんが、電車の通過を待つ価値はあります。城跡の一部を通過するのは結構珍しいのではないでしょうか。
このときは電車が比較的早く来たため、タイミング良く撮影できました。
そこから道なりに降りて、フェンスに沿って歩いていくと、武田軍の陣容などが説明された看板が目に入ってきます。確認しつつ、さらに進んでいった先に……
ありました。鳥居強右衛門が描かれた看板です。この辺りから見える場所で、鳥居強右衛門が磔にされたのでしょうね。
現在は川の対岸が少し見える程度ですが、当時は今ほど木が茂っていなかったのかもしれません。
この辺りからは、川のせせらぎも聞こえてきます。これは城の両脇を流れる豊川や寒狭川の流れる音ではなく、更に近くの脇を流れる小川の音のようです。高台から本流に流れ落ちる滝のように……いや、滝として名前がついていたかも。
鳥居強右衛門の看板を後にして、本丸を一周する手前に、長篠城址の碑があります。
まあ……ここはあることを確認する程度で去り、本丸跡から出て歴史資料館に向かいます。
長篠城址歴史資料館
長篠城址の「メインの建築物」である歴史資料館。ここには長篠の戦いをはじめとした長篠城関係の資料などが展示されています。
入口ではまた鳥居強右衛門の画が迎えてくれます。やはり、あの逸話が有名なので、言い方は古いですが「ヒーロー」なのでしょうね。
中は歴史上の展示物……火縄銃等が展示されています……としか言いようがないところです。そのうち紹介するつもりですが、長篠設楽原古戦場にある資料館との「住み分け」がやはり難しいように感じます。ただ、一見の価値はありますので、ここまで来たら見ていくべきです。
JR飯田線の踏切を渡る
長篠城址歴史資料館を後にして、駐車場をいったん通り抜け、先程撮影したJR飯田線の踏切を実際に渡ってみます。前述のとおり、電車に遭遇する頻度も高くないので、ゆったりと渡れるのがいいところ。そして、踏切の真ん中辺りで一枚撮影。
この辺りの線路が、長篠城の石垣を切り崩して通されていることが分かります。
長篠城の要害を作り出している豊川と寒狭川の合流地点。この辺りの切り立った場所に線路を通すには、この方法しかなかったのでしょうね。当時の方々の苦心がうかがわれるような気がします。
長篠城を後にして
実は、まだまだ行き足りない場所はありました。たとえば、鳥居強右衛門の磔地。対岸にあるそうですが……出かけたときは「別に、ただ石碑が建っているだけだろう」と思って行きませんでした。対岸といっても橋が近くになく、かなり大回りしないといけませんし。それでも(確かに石碑があるだけなのは変わりなさそうだけど)実際に行って、鳥居強右衛門の視点からお城を眺めてみるのも面白かったかなと感じています。
……もっとも、本当に伝わる磔地はまた少しずれているらしいのですが。
どちらにしても、長篠城址は歴史を感じながら、川のせせらぎや木々の香りなどの自然も感じられるスポットです。歴史に興味がなくても、自然が好きであればある程度楽しめるのではないでしょうか。
最後に余談
私の母の旧姓が、徳川の重臣の苗字で……祖父からはその末裔だと聞かされていました。ただ、祖父は特に歴史に詳しくなさそうでしたし、単純に「同じ苗字だからきっとそうだろう」と安直に言っていただけのような気がしています。だって、もしそうなら(本家でなければ違うのかもしれませんが)家に引き継がれた書物やら掛け軸やらあるのではないでしょうか。それが全くないですからね(本当だったらじいちゃんごめん)。
今回は、長篠の戦いの一連で有名な長篠城を訪れたお話をしました。次回は、舞台となった時代を少しだけ戻して(同じ戦国時代ですが)、武田信玄が撃たれたという逸話の残る野田城を散策してみます。