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愛知発・史跡巡り~武田信玄が名前の由来・二つの信玄塚に行く~

武田信玄ゆかりの「信玄塚」が、愛知県と長野県にあります。どちらもひっそりと、それでいて存在感を示している信玄塚。今回は、この2つの信玄塚を紹介していきます。



愛知県新城市の信玄塚に行く

愛知県新城市にある信玄塚は、長篠設楽原古戦場資料館の近くにあります。愛知県の信玄塚を訪れるのであれば、長篠設楽原古戦場にも寄って行くのが自然な流れになるでしょう。あるいは、長篠設楽原古戦場を訪れたら(資料館の隣にあるので)道中偶然見つけた、というケースも結構あるように思います。

広い敷地に佇む石碑は、さりげないようで、それでいて存在感はかなりのものです。ただ、存在理由を知らないと何かの供養塔のように感じるかもしれませんね。

新城市にある信玄塚の由来

ここの信玄塚は、長篠の戦いで亡くなった兵士達を供養するために建てられたと言われているそうです。すぐ隣には長篠の戦いの激戦地・織田信長が3000挺の鉄砲隊を従え、馬防柵を設置して武田軍を撃破した設楽原古戦場があります。なるほど、確かに供養するには良い場所ですよね。
あれ? ちょっと待って(わざとらしい)
長篠の戦いは、武田信玄亡き後、武田勝頼の代に起きた戦のはず。そこで亡くなった方の供養で信玄塚とは、どういうことなのでしょうか。
諸説あるようですが、「武田といえば信玄公」というくらいに武田信玄の威厳が強く残っていたための命名だと考えられているようですね。

長野県根羽村にある信玄塚へ

今度は、長野県根羽村にある信玄塚です。

こちらは、名古屋から国道153号線を走っていくと、その国道沿いにあります。歴史をそのまま感じたいのであれば、前回紹介した野田城から北上して長篠・そして新城市の信玄塚を見つつ、伊那街道を北上するルートを使うのが良いのでしょう。何故なら(上記信玄塚は信玄公存命のときは存在しなかったとはいえ)武田信玄が野田城で上洛を諦め、帰路に通ったであろうルートだからです。しかし……現在道が整備されていてもなお、山道を抜けるのにはかなりの時間を要するでしょう。
昔はそこを歩いていたと考えると、すごい体力ですよね。

横畑という地名

長野県根羽村の信玄塚付近は、横畑という地名が付けられています。そこに残る「地名にまつわる言い伝え」があるそうです。以下に少し紹介します。

風林火山の横旗

横畑は、昔は「横旗」という字だったといわれています。
野田城から北上して帰路についていた武田軍は、この地を通過して今の飯田に向かい、そこから本拠地の甲斐に帰る予定だったのでしょう。
武田軍の掲げていた「風林火山」の旗は、普段立てた状態で移動して、(狙っていたのか結果的にそうなっていたのかは知りませんが)その威厳を示しているものでした。
「ところが、この地で旗が横に倒された……そこから「横旗」という地名が生まれた」
というのが、地名にまつわるお話です。

「横旗」の意味

帰路についていた武田軍の総大将・武田信玄は、この信玄塚のある南信州辺りで亡くなったとされる説が有力です。まず一つ目の根拠が、この「横旗」の地名。風林火山の旗を立てて進軍していたのが、何故ここで旗を横に倒したのか。進軍の停止が始めから予定されていたものであれば、地名になるほど不自然な状況ではなかったことでしょう。この場で急遽進軍をやめて哀悼の意を示したのか、それとも悲しみや混乱などの理由で進軍どころでなくなったのか。どちらにしても、旗を横に倒すだけのことがこの地で起きたことが由来となった、この地の「横旗」という名前には大きな意味がありそうです。

地位の高い人の供養塔「宝篋印塔」

もう一つ、武田信玄がこの付近で亡くなった説の根拠となるのが「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」の存在です。この信玄塚(実際は国道上にあったものを移設したそうですが)には「宝篋印塔」と呼ばれるものがあります。これは石で作られた、言わば「供養塔」のような……現在でいうところの墓石のような存在でしょうか。そして、この地に存在しているその宝篋印塔は、形状から室町時代末期に作られたもので、大きさなどからかなりの身分にあった人のものだとされています。
武田軍がこの地を通ったであろう年代と一致するとともに、武田信玄がこの行軍中に亡くなったのは書物などで明らかにされているなど、この宝篋印塔が武田信玄のものである可能性はかなり高いようですね。また、近くには武田信玄を葬ったとされるお寺もあります。

信玄塚へ

紹介が前後しましたが、長野県根羽村の信玄塚を訪れるところから遡って紹介していきます。
名古屋方面から国道153号線を進んでいくと、愛知県から長野県に入ります。付近は山の緑が多く、自然を満喫したいときに走る道。言い換えれば、その山道を当時の武田軍も通ってきたのでしょう。

根羽村に入りしばらく走らせると、名古屋方面から進むと左手に「信玄塚」の大きな看板が見えます。文字通り、そこが信玄塚です。車を停めるスペースは、信玄塚側にも(短時間路駐すれば)邪魔にならない程度にはあると思いますが、国道の向かい側にそれなりの駐車スペースがあるのでそちらの利用がおすすめです。ただし、それなりにスピードを出して通過する車が多いので、道を渡る際は十分ご注意下さい。

武田信玄の最期の地を連想してみる

信玄塚の敷地に一歩踏み入れると、木々に囲まれた厳粛な空気が立ちこめているように感じます。鳥居もあり、こちらで参拝も可能です。
先程から話題にしていた、宝篋印塔がこちら。

奥の絵は現代で描かれたのが明らかですが、石をよく見ると、歴史の長さが感じられます。
大河ドラマ「どうする家康」では、武田信玄役の阿部寛さんが、最期のシーンで木にもたられかかっている画がありましたよね(前回色々言っていたのに結局最後まで楽しんで観ていた 笑)。ひょっとしたら、脚本の方もここを訪れて、周囲の様子を確認していたのかもしれませんね。

私は木にもたれかかることはしませんでしたが、(信玄塚が移設されていて、実際に亡くなった現場がここではないにしても)「信玄も最期にこんな光景を目にしたのかもしれないなぁ」と連想してみました。

付近を流れる湧水

信玄塚のある場所は、自然豊かな癒しのスポットでもあります。空気が綺麗で、木々の香りが心を癒してくれるようです。
近くには湧水がありました。国道沿いですが、人けのない場所。静かな時を過ごせます。

信玄塚は、高速道路を使うのであれば園原インターまたは飯田山本インターから国道153号線を南下するのも良いかと思います。どちらにしても、自然を楽しむ目的で訪れた方が楽しめそうですね。

次回は、せっかくなので武田信玄繋がり&このご近所繋がりということで
武田信玄が設けたとされる、長野県阿智村の「浪合関所」を紹介します。

Taka娘
要するに、何もないところだよね
Taka
いや、そこがいいんだよ。現代の人が作り出したものが少ない
Taka娘
キラキラした場所の方が断然いいね
Taka嫁
でも、自然を感じられるのっていいよね
Taka娘
歳を取るとみんな自然を求めるようになるのかなw
Taka嫁
何か言った?
Taka娘
あ、いやお母さんのことじゃなくて……ちょっとお父さん!逃げないで!

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