副業・ライター

3000文字チャレンジ~「車窓」~

貴方の生活に、車窓はどれほど関わっているだろうか。
通勤など、日常生活で目にする普通の光景であれば
車窓なんて一々気にもしないであろう。

百万都市圏に住み、地下鉄で通勤している私には
普通の生活を送る中で、車窓に興味を持つ機会はほぼない。
休みにも、コロナで気安く出歩けない今では
車窓の見える電車に乗るのは、出張のときくらいである。

そんなご時世
出張で隣県まで出かけることになった。

はじめに乗ったのは特急列車。
座席に座り、10分も経っただろうか……
外を眺めると、ちょうど小さな駅を通過するところだった。
あっという間に過ぎていくプラットホームには
電車を待つ人影が数人分。
あの速さでは、友人どころか
家族がそこに立っていても気付かないかもしれない。

特急の車窓は移り変わりが速い。
先程の駅を通過し、住宅地を越えたと思った頃には
既に周囲には田舎の風景が広がっていた。
都会からしばらく走っただけで、もうこんなに景色が変わるものか。
たまに川やトンネルに区切られながら
新しい世界にバトンが繋がっていき
窓のキャンパスに描かれていく風景は
緑の占める比率がみるみるうちに高くなっていく。

移りゆく車窓を眺めながら
電車に揺られるのは楽しい。
しかし、私は遠足や旅行に出かけるわけではないのだ。
仕事で目的地に向かっていることを忘れそうになり
慌てて到着後に使う資料の確認を始めてみる。

やはり横目に映る景色が気になる。
車窓には季節も映り込んでいて
まるで映画のワンシーンのようだ。
夏の名残を探しているうちに
気付けば秋はここまで深まっていたのか。
田んぼの稲は金色に染まり
その脇には真っ赤な彼岸花が存在感を示している。
その奥の森は神社か、それともお寺か。
季節は彼岸を過ぎたところだ。

それにしても
彼岸花は不思議と彼岸に合わせて満開になるな。
梅とか桜とか、年によって咲く時期が異なる花も多い中
何故その時期が分かるのだろうか。
車窓を見ながら考えているうちに
またひとつ、小さな駅を通過していく。

今度の駅は、先程の駅よりは人がいただろうか。
車窓では先程の駅周辺より田舎に感じたので、少々意外に映る。
皆さんはどこからやってきたのだろう。
列車はとっくに駅を過ぎ去っているのに
何故か突然、頭の中に思いが走った。
……今過ぎていった人、一人ひとりに
普通の生活があり、人間模様がある……

小さな駅からひとまず急行や特急が停車する駅まで向かう人
目的地まで鈍行で向かう人。
その目的もさまざまだろう。
今日はお休みで出かける人、私と同じように出張で乗る人。
または、時間は中途半端だが
毎日の通勤途中の人もいるかもしれない。

続く車窓の中に
農作業をしている人々の姿が飛び込んできた。
たまたま農作業日和で、複数の農家が作業をしているのか
それとも、家族で複数の畑を持って農業を営んでいるのか。
サラリーマン家庭に育って
農業という職業に縁のない私にとっては
そこに映る光景は目新しいものである。
しかし、彼らにとってこの作業は
日頃から普通にしている仕事に違いない。

……おっと、いけない。
到着後の仕事をすっかり忘れかけていた。
現地で使う資料の最終確認をしておかなければ。
見れば、ページはまだ見開きのままである。
しかし、資料を見始めてすぐに
今度は他の乗客の動向も気になった。
寝ている老人
ひたすらスマホを見ている若い女性。
私と同じように資料らしきものを広げているスーツ姿の男性。
彼らは普通に利用している乗客なのか
私のように、普通の生活では車窓に縁のない乗客なのか。

次に気付いたとき、電車は乗り継ぎの駅に到着していた。
どうやら眠ってしまったらしい。
あっという間に過ぎてしまった特急の移動。
何も出来なかった罪悪感に浸りながら、次の電車へと乗り込んだ。

今度は、最終目的地まで鈍行で向かう。
各駅停車の列車には、特急とまた違った雰囲気があるのが面白い。
数分ごとに列車は停まり、扉が開かれる。
駅ごとに違った空気が車両に入り込み、人の流れが発生する。
前に座った男性はどこで降りるのだろうか。
乗り込んできたお年寄りはどこに座るのか。
そんな「どうでもいいこと」にも興味が沸いてしまう。

満員電車での移動が普通で
一々他人のことなど気にしたことがない、私の日常。
しかし、程々に人がまばらだと、これほど気になるものなのか。
結局、移動中に資料は一通りさらっと目を通しただけだった。
元々移動前に把握していたものであるうえ
それなりに経験もあるため、不利益はなかったにしても
「社会人としていかがなものか」と自責の念に駆られた。
「普通でない景色を見たせいだよ、まあいいじゃないか」
悪魔がそう囁き、思わず同意してしまいそうになる。

帰路。
現地で思いの外早く事を済ませられたため
時間と気持ちには余裕があった。
今度は、往路と反対側の車窓をゆっくりと眺める。
すると、行きには気付かなかった風景にも興味が沸いた。

当然のことながら
行きとは逆に走る帰路の車窓は、鈍行から始まる。
行きに少しだけ感じた、沿線の「普通の生活」。
学校帰り、ランドセルを背負った子供が走っていく姿を目にする。
その中の一人が立ち止まり、この列車に目を向けた。

そういえば、小さい頃に親戚の家に遊びに行ったとき
その近くを走る電車が珍しく、飽きずに見ていたことがある。
「電車なんて、毎日走っているのに」
親戚には呆れられた。
彼等にとっては普通の風景なのだろう。
しかし私には違ったのだ。

車窓の中で立ち止まった子が
何を思ってこちらに目を向けたのかは知る由もない。
彼らにとって私の乗るこの電車は
「いつも見る、普通の風景」の一部のはずだ。
警笛など、何か「いつもと違う音」でも鳴ったのだろうか。
振り向いた子に理由を聞いてみたくなった。

静かに移りゆく車窓
沿線に住む人の、普通の暮らしに溶け込みながら進む列車。
鈍行から特急に乗り換えて、速度を上げて進んでいく。
先程までと違い、景色が流れるのも速くてあっという間だ。
低い山であれば、流れていくように過ぎ去っていく。

過ぎゆく駅のプラットホーム
通過した駅は、行きから数えるともう幾つ目になるのか
そして、その所要時間は何秒くらいだっただろうか。
駅ごとに、鈍行を待つ人が多いか少ないかの区別はつくが
何人いたか数えている間もない。
特急はあっという間に多くの駅を抜け
私のこの日の出張は無事終了した。

数日後、今度は鈍行で出張に出かける機会があった。
今度は鈍行しか停車しない最寄りの駅。
出先での仕事を終えて電車を待っていると
そこに特急列車が通過していった。
ガタガタガタ・・・ゴゴゴ・・・
中にいる乗客の姿ははっきりと見えないまま
風とともにあっという間に通り過ぎていく車両。

……先日と逆のパターンか……
特急に乗っていた人にとって
今の車窓は普通の光景だったのか
それとも特別な光景だったのか。

やがて、ゆっくりと鈍行が滑り込んできた。
特急はあっという間に過ぎていくが
鈍行の車窓は緩やかで
沿線に見える多くの人の「普通」を目にする。
歓声が聞こえてきそうな、河川敷の緑地公園
テニスコートで、汗を流しながらボールを追っている人
小さな子を抱っこして、この列車を指差す母親
並行する道を走る車
踏切で列車の通過を待つドライバー。

人は速さを競い、早く着くことを良しとするところも多い。
確かに、早くなければいけないものもある。
急がなければ、取り残されることだってある。
しかし、それが全てではないはずだ。

人生の中で、速すぎて見逃した景色がどれくらいあるだろうか。
気付かず流れて行った人が何名いただろうか。
それならば
ゆっくりゆったりと車窓を噛みしめる時間もあっていいだろう。

私を目的地まで運んでくれた鈍行列車。
その先頭には「普通」の文字が記されている。

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