「お前の話はつまんねえんだよ」
先輩にそう言われたと落ち込む友人を、みんなで慰めたことがある。
「あの人は口が悪いから」
「まあ、気にすんなや」
「それもあるし、話が面白い必要なんかねえじゃん。
お前の言いたいことを話したなら、それでいいんだよ」
「お前はお前でいいんだよ。あの人を楽しませる必要なんかない」
もちろん詳しくは覚えていないが、こんな感じの言葉を並べ
酒を飲みながら、よってたかって口々に励ました。
彼は感動し
「持つべきものは友だ!」
と、まるで安っぽい青春ドラマのようなセリフを何度も叫び
酒を浴びるほど飲み、潰れていった。
学生寮にいた私達にとっては、よくある話である。
狭い部屋に何人もが入り込んでお酒を片手に語り合う、夜のひとコマ。
その日その日で話題も変わる。
しかし、この日はこのままお開きにならず、続きがあった。
完全に酔い潰れ、いびきをかく彼を囲んで
残ったメンバーがそれぞれ感想を述べる。
「しかし……確かに、面と向かって言ってやるのは……可哀想やなあ」
感想は、一様に歯切れの悪いものとなっていた。
「まあな……もう少しこう、オブラートに包んでやるとか」
「でも、それだとコイツには伝わらんだろ」
「ちゃんと指摘してやろうという、先輩なりの優しさもあるんだろうな」
そう。
その先輩の言う通り。
実際、彼の話はつまらないのだ。
「つまらん! お前の話はつまらん!」
大滝秀治さんもビックリのつまらなさである。
「何て言うんやろなぁ。お前らに通じるかどうか分からへんけど……
コイツの話、オチがないねんて」
関西人の感想に、私を含む関西以外出身の人間も何となく納得する。
なるほど、よく関西の人が「オチがない」というのは
ああいう状態を言うんだろうな。
「なるほどね。でもさ、漠然とは分かるけど……原因は何だろうね。頭の回転?」
「話のオチを先に作っておくの? 俺もそれは分からない」
そのとき、酔い潰れていた彼のいびきが止まっていることに気付いた。
彼の目が開いている。
「いや、少しずつ違うねん。他の奴らはちゃんと出来てる
……というか、フツーの人間はそんな考えんでも出来るもんや」
「フツーって 笑 それじゃコイツがフツーじゃないみたいじゃん 笑」
「いやいや違うねん。コイツの話がツマランのはな、頭が悪いわけやなくて……」
「おい!!」
気付いた私が制したものの
「何や? コイツの為に話しおうとるんやないかぃ。悪口ちゃうわ」
と続けようとする関西の友人。
他の友人も気付き、目で必死に合図を送り
そこで初めて発言者も事態に気付いた。
「あ、いや……今のは一般論の話やで。誰かのことを言うてるわけやない」
既に言い訳も空しい。
しかし、所詮酔い潰れた人間が一時的に覚醒しただけ。
言い訳が終わらないうちに、すぐに寝返りを打ち
彼は再びいびきをかきはじめた。
その後の「話し合い」で出た結論として……
彼の話には結論が見えないのだ。
話す内容を組み立てずに、その場で思いのまま喋り始めるので
結局何が言いたいのか、主題が相手に伝わらないことが多い。
また、結論に達する前にポンポン話が飛んでいき
聞いている人間が話についていけない。
これが、関西の友人が言うところの「オチがない」という部分であり
話し相手が消化不良に陥る所以となる。
そこで
『これからは、彼にはしっかりと結論まで考えて話すよう伝えてあげよう』
『傷つけないように注意しながら、悪い部分を友人として指摘していこう』
という結論に至り、その場はお開きとなった。
数日後の昼、またあの夜のメンバーが顔を合わせたとき。
「話のつまらない彼」が、私達に言った。
「俺、あの日途中から起きてたんだよね」
「あっ……」
その場に緊張が走る。
「あのとき話を聞いていて、お前達が言ってたことをさ……あ、昼飯何にする?」
彼は私達の先頭に立ち「さあ行こう」とばかりに学食方面に歩き出している。
唖然とする私達をよそに、もう彼は別の話を始めていた。
「そういう所やねんて……」
関西出身の友人が、横で残念そうにつぶやいた。
結局、直接指摘するタイミングを失い
学食へと歩を進める彼の後を追う私達。
『お前達が言ってたことを』
……そもそも、彼はその後何を言いたかったのだろうか。
まさか、あの場の途中で起きてから
「お前達の言ってたことを」参考にして
「今日の昼飯」のアイデアを考えていたわけではあるまい。
そのまま数年が経ち
ついに私達は、真意を聞かずじまいのまま卒業を迎えることになる。
学生寮にいて、毎日のように遊んだ気の合う仲間達。
そのためか、大学を卒業して四半世紀以上経った今でも
「話のつまらなかった彼」を含め、ほとんどの友人と付き合いがある。
卒業して10年ほど経ったとき、同期旅行に出かけ
夜の酒宴でそのときの話になった。
彼もその出来事を覚えていたようだ。
「いや、みんなが俺のために一生懸命考えてくれていたのが
後からじわじわ伝わってきて嬉しくなったよ」
へぇ……私にとっては、それは意外な反応であった。
確かに、あのとき関西の友人が言ったとおり
あそこにいた人間は誰もが、悪口のつもりで言ってはいない。
真剣に原因を考え、彼の「改善方法」を大真面目に話し合っていた。
しかし、あの場の彼にとって、気分の良い話ではなかったはずだ。
そのため、私は彼に対して
「やっぱり素面のときに話し合ってアドバイスすべきだったのではないか」
という、多少後ろめたい気持ちをずっとどこかに持ち続けていた。
「でもね、あの瞬間は違うことを思っていた」
「え? 何て思ったの?」
「もうグレてやる、って思った」
場に爆笑が起こった。
こうやって活字になってみると、彼は爆笑に包まれるほど面白い話はしていない。
恐らく、他の友人も私と同じ後ろめたい気持ちが多少あって
安堵の思いも重なって笑いに変わったのだろう。
「あのときのお前らのお陰で、今じゃすっかりグレた不良中年よ 笑」
「今のはアカンわ、スベッたな。調子乗り過ぎや」
相変わらず関西人は笑いに厳しかったが
私は「あの彼」がここまで「上達」したことを喜びたい。
あの「話のオチがなかった」彼が、社会を経験して、笑いを取れるようになった。
その成長に私達が貢献できていたのであれば、そんなに嬉しいことはないだろう。
しかし……「話す内容が消化不良」から「ただの不良中年」に変わったことが
成長なのかどうか、私は知らない。
私は今、縁あって副業でライターもさせてもらっている。
こういう場では思いのままに、ご覧のようなとっ散らかった文章も書いているが
お仕事をさせて頂いている記事の執筆などでは
主題や構成を決めたうえで組み立てて書いている。
今の自分があるのは
「お勉強」よりも、こうした友人とのやり取りから得たものが大きいように思う。
起承転結とか序破急とか、他にも色々な言われ方がされるが
その辺りのことも、友人同士の話で知らず知らずのうちに学んでいたことが多い。
たまにはあいつらに感謝してやるか。
あの、同期旅行の場で話した続きを
覚えている範囲で書いておこう。
「話のつまらない彼」は、自分の話がやたらと飛んだり主題がなかったりして
(関西人の言うところの)オチがなかったことに、当時気付いていたのか。
「気付いてたら変えてたさ」
「まあ、そうだわな」
「でも、あのときにお前達が言ってたことをさ」
あれ?
どこかで聞いたセリフだ、と思った。
「言ってたことをよくよく考えたら
自分の悪かったところが分かった気がするんだよね」
「おお、今回は続いたな」
「これで『昼飯どうする』とか話飛んだらどついたろか思ったわ」
みんな全く同じフレーズを思い出していたらしい。
考えてみれば、凄い記憶力だ。
一日単位、いや一年単位の記憶はあっさり消えていくのに
「何気ないたった一言」が全員の記憶に残っている。
「そういやさ、あの日の昼に結局何食べたか覚えてる?」
話に区切りがついたところで、何気なく思ったことを口にした。
「へっ??」
「ホラ、(大学の)近くに中華のナントカ軒ってあったやろ。あそこ行ったんちゃう?」
「あったな……名前何て言ったっけ?」
「いや、忘れたけど……学食だったんじゃねえの?」
「そもそも、食べたシーンが全く出て来ねえわ」
「おいTaka(私)!この場を何とかせえ! 笑」
しまった。
自分の一言で場がおかしくなった。
それにしても、記憶がない。
こんなに細かい会話は思い出せたのに、何故だ?
すっかり消化不良となった同期旅行の夜は、こうして更けていった。
「こうなったのは全部お前のせいだぞ」
「次までに思い出しとけよ」
ちきしょ~。何でもかんでも人に押し付けやがって。
もう、グレてやる。