副業・ライター

それぞれのイメージ~3000文字チャレンジ「ラジオ」~

プロ野球・日本シリーズの実況放送。
応援するドラゴンズが出場する日本シリーズ。
私にとって何年かに一度の「お祭り」の様子は
右耳から伝わる先生の声とともに、左耳から聞こえてきていた。
関数だか公式だか知らないが、この期間だけは勘弁してくれ……
勝手な理由をつけ、隠し持ってきたラジオの電源を入れてこっそりイヤホンをあてる。
私のこの行動を知っているのは
そして、同じようにラジオを隠し持ち、授業中に同じ行動を取っているのは
一部のファン仲間と親友だけ……そう思っていた。
他はみんな真面目に前を向き、先生の話を熱心に聞きながら、黒板の文字を見つめている。

ドラゴンズのチャンス。ランナー満塁で中軸に回る。
さあ、打て!
授業を聞くふりをしながら、緊張で胸が高鳴る。
そして、勝ち越しの点が入った。
……押し出しの死球によって。
ちなみに死球を受けた選手は、過去に珍プレーの代名詞ともいわれるプレーをして
全国に笑いを提供するきっかけとなった「偉人」である。
彼の「らしい」結末に笑いをこらえようとした、そのとき。
教室のあちらこちらから笑いが起こった。
「デッドボールかよ 笑」
はっきりと、そう口にした者もいた。
あいつも
あいつも
授業に集中していると思っていた、普段真面目なあの女の子までが
実は「同士」だったことが分かったのだ。
~だったら、初めから公言してくれれば良かったのに~
(相手も私達に対してそう思っていただろうが)
何はともあれ……その瞬間
真面目くさって授業を聞いているふりをしていた「同士」何人もが
死球を受けて痛がる選手の(ご本人には申し訳ないが)滑稽な姿
喜んでホームインする選手の姿
「しまった」という態度を前面に出した、悔しそうな相手投手の姿
これらのイメージを共有していたのだ。
先生と「本当に真面目だった」何人かが、意味が分からずきょとんとしている。
学生時代にあった、このひとコマには続きがある。
授業が終わってから聞くと、それぞれがイメージした光景には、少しずつ相違があったのだ。
「あそこでデッドボールってさぁ。何か『らしい』よな」
「でも、喜んで1塁に行ってる場合じゃねえだろ」
「確かに。あそこで打って結果出したら格好良かったのに」
「いやいや、痛がってたとか実況で言ってなかった?」
「うん、ワタシも痛くて可哀想だなと思った」
「あいつが? 痛がるわけねえだろ。ヘディングしても平気なんだぜ」
……随分失礼な話だが……
とにかく、家に戻ってニュースを見るまでは「正解」の映像がなかったため
イメージは、聞いていたそれぞれが、様々な方向に膨らませていた。
ちなみに、「正解」の映像についての記憶は一切ない。

同じ学生時代、部屋で勉強をしながらラジオを聴いていたときのこと。
いや、言い換えよう。
ラジオを聴きながら教材をただ開いていたときのこと。
怒られるまではないが、嫌味を言われるのが嫌なので
家族が入ってこないか警戒しながらイヤホンを耳にあてていた。
夜は音楽番組……もちろん(?)シーズン中は野球中継。
深夜になるとオールナイトニッポン……そして、ジェットストリーム。
当時は、城達也さんの渋いナレーションが好きだった。
曲の舞台となっている街角の風景、行き交う人々の様子。
私も、勉強しなければいけない事実から逃げるように
城達也さんとともに、海外に毎晩逃避行を重ねていたことが思い出に残っている。
当然、勉強の内容なぞカケラも残ってはいない(威張って言うことでもない)。

ある夜、ラジオから流れてきた曲に意識が集中した。
甲斐バンドの「裏切りの街角」と紹介された、その曲。
その当時、甲斐バンドは存在を辛うじて知る程度であったのだが
聞こえてきたその一曲は、その先も聞き続けることとなる。
ちなみに、世代そのものは全く違う。
聴いた当時は、発売されて10年程経った頃だろうか。
何気なく聴いていたのに、情景がはっきりと浮かんでくる。
私の中での舞台は、実家にいた頃に遠出する際利用した駅だ。
別れを決意した恋人が駅に向かったらしい。
駅に向かって走り、去り行く恋人を追う。
間に合った!……そう思ったが、恋人の意思は固く……
曲の終わりには、線路の上を小さくなっていく電車の後ろ姿がしっかりと焼き付いていた。
ただ……
恋人は豊橋行きの普通列車なぞに乗ってどこに行ったのだろうか。
名古屋方面の特急に乗ればよかったじゃないか
ああ、それはこちらの想像した風景が勝手に作り出したものだった。
私がイメージの中で走っていた街角
そこからすぐ乗り込める列車がたまたまそっち方面だっただけだ。
何故普通列車だったのかは知らない。最初にイメージした頃の私に問い質したい。

それから何年か過ぎた、クリスマスが近くなったある日のことである。
バブル後半。街はキラキラしていて、今思えば全体が浮かれていた。
山下達郎の「クリスマス・イブ」が、あちらこちらで流れる。
大学生になっていた私が、その街を歩いていたとき
またある曲と出会った。
浜田省吾の「MIDNIGHT FLIGHT-ひとりぼっちのクリスマス・イブ」。
浜田省吾は、今もよく聴く歌手のひとりではある。
しかし、当時はまだ「聴いていると言うと格好良く見える」という
「格好つけ」で聴いていた時期であった。
アルバイト代で早速アルバムを購入し、しばらく聴いていると……
再び、曲からイメージが作り出されていくのを感じた。
イントロから、既に想像の世界が始まっていく。
「あれ?」と、何か冷たいものを感じる。
もう一度冷たいものを感じ
見上げると、白い雪が空から降ってくる。
そして「降り出した雪の中」で歌が始まっていく。
旅立つ彼女を見送る男性のストーリー
かと思うと
今度は、女性の視点からストーリーが続けられていく。
この曲もまた、私の中で綺麗にイメージができあがった。
舞台は名古屋空港(小牧空港)である。
誰ですか? 「しょぼい」なんて言っている人は。
当時はセントレアなぞなかったのだ。仕方がないであろう。
今でもクリスマスになると、ラジオからよく流れてくるこの曲。
それぞれにイメージする光景があるだろう。

その後、CDを聴く機会が増え
それに伴い、自分の意志で聴く以外では新しい曲を聴かなくなる。
もうすっかり「大人」になった、ある寒い日
「今日の気候にピッタリの曲です!」
ナビゲーターの女性の明るい声とともに、車のラジオから曲が流れてきた。
BUMP OF CHICKENの「スノースマイル」。
当時はもう、自分の趣味以外の曲を聴かなくなっていた中で
たまたま車を運転していたからこそ、聴いた曲。
その当時イメージしたのは、高校時代とか大学の頃とか
若かりし頃にお付き合いした女性と道を歩いていた図であった。
「へぇ、いい曲だねぇ。別れたばっかりの人や引きずっている人に響きそうだな」
くらいの印象は持ったように思う。
ところが、結婚して娘が生まれ
娘の手を引いて街路樹の下を歩いていた、ある冬の日……
不意に「スノースマイル」が頭の中で流れた。
まだ足元の覚束ない、幼い娘の姿。
いつの間にか、あの曲のイメージ上の主人公は「私と娘」に変わっていた。
~あれ? あの曲は親子を描いていたのか?~
これを書いている現在は、それからまた10年以上の月日が流れている。
手を離すと、小走りで付いてくるようになり
手を繋がなくても歩けるようになり
やがて、手を繋ぐことを嫌がる年代になった。
今、独りでその街路樹の下を歩いていて、あの曲が流れたら
私はどんな感情に襲われるのだろうか。
もしも曲の作者が、聴く人の立場によって登場人物を置き換えられるのを
想定していたのであれば、物凄い才能だと思う。
娘との思い出に浸りながら、とある街路樹の傍を
独りで涙を流して歩いているおじさんを見かけたら
通報なぞせずに、どうかそっと見守っていただきたい。

ラジオから聞こえてくる音には、それぞれのイメージが加わる。
野球中継ならば、プレーの内容
曲であれば、その舞台と情景。
それは、聞いたときの立場や置かれた状況などによって
それぞれイメージが違ってくるのだろう。
その後に映像を見て「正解」があるものも、そうでないものも
ラジオならではの楽しみ方はあるように思う。

そう思いながら、今日もテレビ漬けの日々が続く。

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