副業・ライター

孫子と記憶と牛乳の香り~3000文字チャレンジ「書くということ」~


敵を知り 己を知れば 百戦殆からず
突然だが、私の座右の銘である。
「孫子の兵法」で有名な孫武の言葉とされている。
この言葉
「相手を知って俺自身のことも分かっていれば誰に喧嘩売っても負けないぜイェーイ」
と言っているわけでないのはご存知の通り。
相手をしっかり調査したうえで
自分の実力を正確に把握できれば
敵わない相手に喧嘩を売って
(敵わない相手からの喧嘩を買って)
負けることはない。
色々な解釈があるが、まあ表面的にはそんな感じの言葉だ。

「敵(相手)を知る」のは、この情報化社会の中では不可能でないだろう。
この言葉で大切なのは「己を知る」という部分ではないかと私は感じる。
己を知っておけば、その力の使い所や「ご機嫌の取り方」などを把握でき
実力も出し切れると思う。
しかし、実際は「言うは易し」。客観的に己を知るのは本当に難しい。
おお、こんな偉そうなことも書けてしまうのか。
「己」というのは思いの外優秀な人間なのではないか(勝手に言ってろ)。

さて、本題に入ろう。
書く、ということ。
基本的に、昔から書くことは好きで、そして得意な分野だ。
その「己を知って」いるからこそ
副業とはいえライターをさせて頂いている
……と、勝手に考えている。
だからといって「私が一番だ、かかってこい」なんて口が裂けても言えない。
ツイッター界隈を見ていても、「この人は凄い」と尊敬の眼差しを向ける方々は多数存在する。
クライアントさんから指摘を受けて、何だか全否定されたような気分になって
「実は向いていないのか」と思うときもある。
かと思えば、クライアントさんに褒められて
「俺、凄いんじゃない?」なんてニヤニヤしている日だってある。
己の力とは。
過大評価と過小評価を、その日の気分で行ったり来たり。
「貴方の実力は?」と問われても、恐らく日によって答えは全く違うだろう。

もう一つ、己を知る。
私はアナログ人間である。
文明の利器なるものは、ある程度どころか
世間で当たり前に使われるようになるまでまず手は出さない
(それでいながら、MDには手を出して
大量のお気に入りCDを売っ払った黒歴史をしっかり持っている)。
その名残か、未だに大切なこと等は手書きでメモを残す。
覚えるべきことは書いて覚える。パソコンやアプリでは記憶に残らない。
記事を書くときにも、まず紙に書く作業から始める。
これも、意識していなかったが、己を知ったうえで
「活かし方」を考えた結果なのかもしれない。
ただし、ブログだけは、今まであまり構成を書かずに好き勝手に書いてきた。
今回は初めて下書きを用意している。
ただ……あまり変わった印象がないのは、集中力の差なのだろうか。

さて
3000文字チャレンジは、今回が最後のお題だという。
今は少し目指しているものがあって時間が取れていないが
いずれ再開したときに過去のお題などにも取り組んでみたいと考えている。
その前に、今回の話題だ。
最後のお題で何を書こうかと思い巡らせたが
結局ありきたりの昔話に落ち着きそうだ。

書くということ。その記憶を辿ってみたい。
私達の世代では、小中学生の頃にパソコンなどというものは(少なくとも一般的には)なく
印刷物でも全て手書きで原稿を出していた。
もう名前も思い出せないが、特殊な紙の上から
ボールペンだったか特殊なペンだったかでカリカリと「書いて」いく。

何故か記憶に残っているのが、小学校低学年の頃に何かの作文コンクールに入賞して
入賞者数人だけでカリカリと「清書」しているシーンだ。
今思いつく範囲では、これが「書くということ」で残っている一番古い記憶である。
パソコンと違い、書き間違えたら全て終わり。
そのため「絶対に失敗できない」というプレッシャーは
文字数が進んでいくにつれて大きくなる。
今思えば、あれは校内の機関誌とかではなかったはずだが
普通に原稿用紙での提出ではいけなかったのだろうか。
どちらにしても、小さな肩にプレッシャーを背負いながら……
我がことながら、よくやっていたなと思う。

小中学生の頃は、夏休みの読書感想文や(小学生なら)絵日記などもあったはずだが
書いているときの記憶が皆無なので先に進む。
当然「かったるさ」は記憶に残っているものの
「産みの苦しみ」の記憶がないので、それなりにこなしていたのだろう。
そして中学や高校になると、あらすじだけを読んで
さも読んだかのように読書感想文を書く技術(?)を身につける。

次は一気に飛んで、大学でのレポートや卒論の記憶へと移っていく。
そろそろ「ワープロ」なるものが出始めた時期
講義のレポートで「ワープロOK」の指示が出ると歓声を上げていた人間もいた。
しかし、大半は無反応……当たり前だ。
そんな文明の利器が当時いくらしたと思っているのか。
それを買えない学生は、手書きでカリカリと書き、鉛筆であれば消しゴムを使い……
それでもたまに文章を挿入しなければいけなくなり、キーキー叫びたくなる。
途中で書き忘れた項目に気付いても
そこまで書いた文章を全て消すか
それとも、紙を丸めて別の原稿用紙に改めて書き直すかの2択。
もちろん、ボールペンや万年筆で書いていたのであれば、書き直しの1択。
それが嫌なら先に構成を決めておくか
もういっそのこと下書きで100%完成させてから「清書」するか。
思えば、今色々な文章を書いている以上に労力を使ったであろう。
疲れた状態で無理をすると、余計に疲れを呼ぶ。
でもあと少し、となった終盤。論文を早く仕上げるべく、無理をして挑む。
眠気覚ましのコーヒーを用意して飲みながらやっているうちに力尽き
「ビクッ」と動いた勢いで手がコーヒーカップに当たってしまったときの悲劇といったら。
スローモーションで原稿用紙の文字と黒い液体が交わっていく。
それを寝ぼけ眼で見つめ、事の重大さに気付く頃には
論文の文字と黒い液体はすっかり仲良しになっている。

♪出〜会い〜は〜 スローモーション〜♪

悲しいメロディーとともに、事態を把握した頃には紙とともに視界も涙で滲む。

すべてをフイにして壊れかけたときには、学生寮の仲間でやけ酒をくらい
キーキーと大騒ぎして憂さを晴らす。
たまに、庭かどこかに生えていた木に登って
高い場所から景色を眺め……
壊れかけの仲間達との楽しい時間。
気付けば朝の眩しい日光を浴びながら、少しずつ酔いが覚め、現実に戻されていく。

♪華やいだ 祭りのあと 静まる人波に♪
ホントの幸せ……何だろう?

♪幸せ~って何だっけ何だっけ?♪

歌が途中で入れ替わる程度にパニックに陥る集団。
(何故か後半まで徳永英明が歌っているのを想像し
書きながら笑いが止まらなくなる現在(関係ない))。
そのまま二日酔いの状態で
最も締め切りがヤバい奴の論文やレポートの下書きを
みんなで手分けして清書していく。
何度やらかしても成長しない原始人達は
翌日も翌週も同じように時間を費やしていった。
いやむしろ、毎回協力プレーで何とかなってしまうために
安心感すら生まれつつあったのだ。

しかし、その頃の「書いた」経験は
何らかの形で今活かされていると信じたい。
また、行き詰まった友人に乞われて文章表現を教えているうちに
「あれ?俺書くの得意かな?」
と気付き
「己を知る」部分にも繋がったのではないかと思ってはいる。
文明とは遠くかけ離れた話ではあるのだが
それで本当の「己」は見つけられているのだろうか……
そこは今でも謎のままである。

「とんでもない原始人やな。こんなこと言うとったら己なんて一生見つけられへんで」
「オカンがな、この原始人の名前を思い出せんらしいんや」
「どんな特徴言うてたか教えてよ」
「時折キーキー叫んどったらしいんや」
「猿やないかい。キーキーいうのはオバハンのチャリンコのブレーキと猿くらいや」
「それでも分からへんのや」
「何が分からへんの」
「オカンが言うにはな、大勢でレポート書いとったらしいんや」
「ほな猿と違うか〜。猿がかくのはお尻くらいや。他に何か言うとらんの?」
「集団で群れを作ってギャーギャー騒いで、気分良くなったら木に登っとったらしいんや」
「猿やないかい。ギャーギャー言いながら木に登るいうたら、おだてた豚と猿くらいしかおらんやろ」
「それがな。オカンが言うには、コーヒー飲みながら卒論まで書いとったらしいんや」
「ほな、猿と違うか〜」
「合間に軍団で酒を飲みながら、気付けば日光を浴びとったらしいわ」
「猿やないかい。日光・軍団とくれば、猿と相場が決まっとるがな」
「でもな、オカンは猿と違う言うとるのや」
「なら何やの?」
「オトンが言うにはな、あれは今ライターやっとるらしいわ」

3000文字の最後のネタが
牛乳の匂いが強い「パクリ系」とは……
しかも関西弁微妙におかしいし。

「もう、やめさせてもらうわ」
………

3000文字チャレンジ、最後の締めがこんな内容で恐縮です(^_^;)
9月まで少し忙しくしていますが、本文にもある通り、また過去のお題なども落ち着いたら書いていこうかなと思っています。

Taka娘
最後に牛乳って……
Taka嫁
私達が牛乳嫌いなの知ってるわよね?
あ。いや……
Taka
Taka嫁
あ、あくまで嫌いなのは飲み物の話よ。
Taka娘
元ネタの人達は面白くて好きだけどね

改めまして
くだらない話に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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