副業・ライター

3000文字チャレンジ!第88弾!【海】

ハワイ・オアフ島のワイキキビーチ。
澄み切った青空の下、白い砂浜に打ちつける波の音が響き渡っている。
胸あたりまで海に浸かっているところに
沖から近づいてくるコバルトブルーの壁。
娘を抱えながらタイミング良くジャンプして、文字通り「波に乗る」。
私の身長よりはるかに高い位置まで波に持ち上げられながら
顔に波しぶきがかかり、思わず笑ってしまう。
砂浜で波が砕ける音と同時に、耳元で聞こえる娘の歓声。

3年前の夏休み、ハワイ旅行での一幕である。

「お父さん!海って楽しいんだね! 明日も海入ろうね!!」

まだ反抗期前で口数も多かった娘がそう叫んだとき、私はふと気付いた。

……そういえばこいつ、海水浴初めてか!……

初海水浴がハワイ。
我が子ながら、なんて幸せな奴だろう。
いや、それまで遊びに連れて行ったのは山や観光地・遊園地ばかりで
海水浴に一度も連れて行ってあげなかった親の責任もあるのだろうか。

結局、海水浴は二の次だったはずのハワイ旅行は
娘の意向によって、毎日どこかで海水浴の時間が作られることになった。
挙句、そこから3年連続で、家族旅行の行き先がハワイになった
(いや、娘の意向だけでなく私達も『嵌った』のだが)。

海といえば……

私が小さい頃も、年に1度くらいは海水浴にも連れて行ってもらってはいる。
しかし、内陸部で育った私にとって、海は身近に感じられないうえに
綺麗だというイメージもまた全く持っていなかった。

今は各地の海水浴場も綺麗になってきているそうだが
私達の子供時代は公害なども話題になっていた時期で
特に汚れが酷かった頃といえるだろう。
周囲の子ども達も途中からはみんな泳ぐのをやめ
カニやヤドカリを捕まえて遊んでいた。
これも、その『汚さ』と無縁ではなかったはずだ。

そして
海水浴に行った当日の絵日記を書くとき
海の色を青で塗ることに違和感を覚えていた記憶がある。
見たままの色を使い、親に色の指摘をされて書き直すよう言われても納得できなかった。
青なんてとんでもない!
私の目には、海の色は茶色か、どう良く捉えても
せいぜい濁った緑までにしか見えなかったのだ。
自分に嘘をついて、言われるまま青色の海にするのか
自分を信じて、絵の中の自分を茶色の海で泳がせるのか。
子供にとっては『究極の選択』の部類に入る難題である。
それに加え
年を重ねるにつれて、帰ってからも肌のベタベタが残る気もして
海水浴という行事は歓迎すべきものではなくなっていった。

それから数年。
何の因果か、私は大学生時代を海に隣接した三重県の津市で過ごすことになる。
何かあると、一人で海岸に出かけては、静かに波の音を聞き
大勢で海岸に出かけ、バーベキューや花火などをしては、賑やかに遊ぶ。
同じ学部の友人と、つまらない授業を抜け出しては
キャンパスに隣接した海岸まで足を伸ばし、語り合いながら散歩をする。
大学に入ってからは、海の思い出は海水浴だけではなくなっていた。

思えば、季節に関わらず波打ち際を歩きながら色んな話をしたものだ。
恋愛の話から将来の話まで……
バカ話も悩みの話も、波に合わせるように際限なく話し続ければ
波の音が全てを消し去ってくれるように感じていた。
意識的であれ無意識であれ、毎日のように海を眺めていた時代。
しかし……
夏になっても、酔っ払って入った以外は
そのとき住んでいた近辺で海水浴はしたことがない。
(※酔って海水浴は本当に危険です!絶対やめましょうね!!)

海水浴場は近くに一杯あった。
そのため、両親や親戚からは
「いいねえ、歩いて海水浴場に行ける場所なんて」
「夏は毎日海水浴?」
などとも言われた。
しかし、1年生最初の夏が始まってすぐに先輩に連れられて鳥羽まで海水浴に行き
南の『綺麗な海』を知ってしまってからは、近くの海など見向きもしなくなったのだ。

「この近辺の海は、音と景色を味わう場所だよ」
「こんな所で海水浴なんて、やってられるか」
が、我々の共通意見だった。
津市からであれば、車で1時間も走れば伊勢や鳥羽に出られる。
そこまで行けば、海の水質はガラッと変わるのだ。

「うわ、今日も大盛況やな」
「アホちゃうか、もう1時間も行けば綺麗な海で泳げるやん」
「こんな汚い場所で海水浴なんて、俺絶対無理だわ」
(何故か知らないが、友人は関西人が多かった)

口の悪かった私達は
近所で泳ぐ海水浴客を遠巻きに見ながら口々にそう話していたのだった。
それぞれ事情もあっただろうに
「1時間」の大切さも知らない暇な学生が何をホザいていたのか。
聞かれなかったとはいえ、悪く言った皆様方には今更ながら本当に申し訳なく思う。

海水浴は伊勢志摩、体力があるときは熊野にまで出かけていた学生時代。
綺麗な海だけを探し求めて、体力の許す限り遠くへ……
しかし、社会人になると時間の余裕はなくなる。
伊勢志摩まで足を伸ばそうと思えば、休みの日に泊まりで出かけるしかなくなったのだ。
そこで、代わりに近場で海水浴をすることは
私のような生意気な学生にバカにされそうで、どうしてもできなかった
(今思えば、これもくだらないプライドである)。

それはともかくとして

気付けば、私自身もワイキキビーチが『学生時代の伊勢志摩以来』の海になっていた。

学生時代から、四半世紀がとうに過ぎてしまっている。
自分自身も『日本の海』から遠ざかってから長くなってしまった。
ワイキキビーチの、娘の初海水浴からは3年。
相変わらず、娘はワイキキビーチ以外で海水浴の経験はない。
しかし、海外の海でしか遊んだ経験がないのは、娘にとってどうなのだろうか。
彼女は、どうも他の海で遊ぶことを毛嫌いしているように見える。
「これでいいのだろうか?」
私の中では、日に日にこのような心配を感じ始めていた
(くだらない『心配』であることは、冷静になったときには重々承知している)。

そんなことを考えていたところ
今年の正月に、親戚一同で伊勢志摩旅行に出かけることになる。
親戚一同の旅行は新春恒例で、今回は初詣も兼ねたものだが
このとき、私の中にはもう1つ密かな目的もできた。

伊勢志摩といえば、学生時代に海水浴によく出かけた場所。
当時のような綺麗な海も見られるであろう。
海水浴のシーズンからは大きく外れているが……
「日本にだって綺麗な海があって、そこで遊ぶと楽しいんだよ」
それを娘に知ってもらうことだ。

都合の良いことに、宿泊したホテルにはプライベートビーチがあった。
宿に着いた日の夕方、姪と一緒に娘を冬の海に連れ出し
海岸で石を投げたり写真を撮ったりして遊んだ。
1つ年上の姪と楽しそうに波打ち際で戯れる娘の姿……

「これで娘も、海に対する考え方が変わってくれただろう」

夕焼け空を背景にして楽しそうに遊ぶ二人を見ながら、ひとり悦に入る。

娘の意見を聞こうと思ったが、反抗期真っ只中。父親に話しかけてくる機会はそうそうない。
そこで、妻が代わりに海の感想を聞いてくれるのを待った。

帰路。妻と娘の会話が聞こえてきたので、思わず聞き耳を立てる。
「海はどうだった? 綺麗だったでしょ?」
「え~? どこが? 汚かったよ。〇〇(姪)ちゃんと遊べたのは楽しかったけど」
「うそ? だってお父さん綺麗だって言ってたよ。夏だったら海水浴できるって」
「あんな汚い場所で海水浴なんて、私絶対無理だよ」

運転をしながら、妻と目が合った。
妻は苦笑いを浮かべている。
我が子は一体どうしてこんな毒舌になってしまったのか。
親の顔が見たくなり、バックミラーに目を移した。

……「こんな汚い場所で海水浴なんて、俺絶対無理だわ」……

四半世紀以上前の生意気な学生の面影が、ミラーの中に垣間見えた。

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