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愛知発・史跡巡り~君主・徳川家康のスタート地点?岡崎市・大樹寺~

愛知県岡崎市。岡崎城や市役所などがある中心部から北に車を走らせると、年代を感じさせられる風景が広がり始めます。
……と、紹介していきたいところですが(間違ってはいないはずです)、私は尾張国の人間で、今回は目的地のみを目指したため、名古屋から三河国・みよし市を抜けて「岡崎街道」と呼ばれるルートを辿りながら目的地へと向かいました。
今回の目的地は、大樹寺。松平家の代から続く、徳川家の菩提寺です。2023年の大河ドラマ「どうする家康」でも、若かりし家康が主君の道を進む第一歩目の場所として描かれました(余談ですが、今もってしても、ここまでは松本潤さんでなく「子役」で良かったのではないかという思いは個人的にあります。いくらあれだけ格好いい人物であっても、40歳の男性が兎の木彫りを持ってとび跳ねる姿を演じるとか、現代でたとえたらランドセルを背負うほど滑稽なものではないかと)。
あまり時間が取れず、全てを回ることができませんでしたが、大樹寺の様子をここから紹介します。




豊田市から岡崎市へ

名古屋から三河国に入り、入り口のみよし市を抜けると豊田市へと入ります。岡崎街道が通る場所は豊田市の中心部からやや外れるため、トヨタ自動車の工場などがある以外は長閑な風景の続く地域です。
矢作川を渡ると岡崎市へ。岡崎市に入ると岩津天満宮の赤い鳥居が見えてきて、やや古い街並みのどこかに厳粛な空気が感じられます。

岡崎市

ここは少し余談です。
岡崎……どう発音しますか?
愛知県出身者は、この発音を聞いて地元出身の方かそうでないかを見分けられます。
どこの地域にも、そういう地名はありますよね。
「岡崎城」や「岡崎駅」などでは分かりません。単独で「おかざき」と口にするとき、愛知県出身者は「岡崎城」などと変わりません(「じょう」を抜いた感じ、と表現したらいいかもしれません)が、ほかの地域の方は、苗字の「岡崎さん」を呼ぶときのように「か」にアクセントを持ってくる傾向です。
でも、「よそ者」とかバカにすることはないので(バカにする奴は付き合う価値がないから、放っておけるなら放っておきましょう)、ただのネタとして聞いていただけたらと思います。むしろ、分からない地域から来たのに取り繕って発音を変えた方が、「うまくいった」ときに「この人は地元のことは知ってるはずだから何も手助けは要らないだろう」となって不利益を被る可能性の方が高いのではないでしょうか。

岩津天満宮から南下して門前町へ

脱線した話を元に戻しながら、東に向かっていたルートも南に折れて大樹寺方面へ。大樹寺は、国道248号線沿いのやや外れた所に位置します。この国道248号線は、三河地方の主要幹線のひとつで、豊田市の中心部から岡崎市の中心部へと繋げられています。
実際のルートはその国道ではなく、もう一本隣の道を走りました。岩津天満宮からもうそれほど走らせることなく、道沿いの視界に古い街並みが広がっていきます。その辺りからが、恐らく大樹寺の門前町だったのでしょう。

大樹寺の駐車場

駐車場は有料でした。以前来たときにお金を払った記憶がないのですが……どうだったっけな。
とにかく、駐車場に車を停めて中を歩いてみます。

境内の様子

徳川家康公の銅像がありましたが、それなりに新しいものでした。恐らく最近できたのでしょう。
そして、境内から振り返ると、大きな山門の存在感が際立っています。

山門の先には小学校があり、その先にもう一つ門が見えています。

伝統ある光景が散りばめられた中に、ちょうど昼休みとなったらしい子ども達の遊ぶ声がこだましていました。彼らにとって、この文化遺産に囲まれた光景はどう映るのでしょうか。
境内には、その他にも歴史を感じる建物があります。お墓参りの方々の邪魔にならないよう気をつけながら、ゆっくりと歩を進めていきました。

大樹寺多宝塔

室町時代に、松平家七代・松平清康公によって建てられたもの……だそうです。松平清康は徳川家康公の祖父にあたり、松平家を一時期繁栄させた人物です。しかし、家臣に暗殺されてしまい、その息子である広忠(家康の父)もまた同じ目に遭って亡くなり、松平家は没落してしまいます。徳川家康が家臣との関係をことのほか重視していたらしいことも、この経験が大きな影響を与えていたのであれば頷ける話です。
……とまあ、それは多宝塔とは関係ないお話ですが、どちらにしてもそれだけ古い時代に建てられたものということですね。そして、徳川家康公もこの塔を見上げていたことでしょう。

一度敷地の外へ

メインで語りたいものはひとまず置いておいて、いったん敷地から離れてみます。存在感溢れる山門を外から撮影したかったのに加えて、大樹寺の周囲にも歴史的価値のあるものが多くあり、少し周辺を巡るのもおすすめです。

ただ、この日は時間の関係で、山門を出てすぐの所までしか行けませんでした。
小学校の門の前に、大樹寺の土塀が遺されています。

こちらの土塀もまた古くからあるもの。当時は大きなお寺は、お城と並ぶほどの要塞にもなり得るほど敷地も備えもあったようです。大河ドラマ「どうする家康」でも、三河一向一揆で苦戦した場面が描かれていましたね。また、有名なところでは本能寺も要塞化されていて、本能寺の変の際も「決して裸同然なほど無防備だったわけではなかった」というのが最近の通説となっています。

大樹寺から岡崎城を結ぶ「ビスタライン」

大樹寺の境内から山門を見ると、小学校を跨いだ先に「総門」の姿を確認できます。更にその先には、総門の中に見る形で岡崎城の姿が目にできます
……と、私も定型文のように書きたいところですが、私は嘘が苦手でして(^_^;)

Taka娘
いやいや、結構嘘ついてない?
Taka嫁
その発言そのものが怪しいわよね

ええと……とにかくですね
肉眼では「なるほど、あれが」と指し示すほどはっきり岡崎城の姿を認識できませんでした。

「多分あの米粒のようなものが……いや、違うかもな」
くらいの見え方です。
ちなみに、全くどうでもいい話ですが、私はいまだに裸眼なほど目はいいです

Taka嫁
老眼は出てるよね
Taka娘
目「だけは」いいんだね
Taka嫁
やめてあげなさい

大樹寺から岡崎城を結ぶビスタライン、大河ドラマの史跡紹介などではしっかり映されていたので、もししっかりと見たいのであれば望遠鏡や望遠レンズのついたカメラなどを持参すると良いかもしれません。
他にも、松平家の墓所などがあり、ゆっくり回れば更なる発見もありそうな場所です。遠方から訪れる場合は、岡崎城とセットで巡ると良いでしょうね。周囲にある当時のままの建造物を見ているうちに、家康や家臣団が見た景色も思い浮かぶかもしれません。

Taka嫁
岡崎は雰囲気ある場所が多いよね
Taka
岡崎城とか、あとは「八丁味噌」も岡崎だからね
Taka娘
え?そうなの?
Taka
そうだよ。もともとの由来は岡崎城から八帖(距離)のところで味噌が作られたことで、今も国道1号線には「八帖」という名前の交差点が
Taka嫁
もう聞いていないわよ。部屋に帰っちゃった
Taka
……
Taka娘
(しまった。余計な合いの手入れてスイッチ入れてしまった。まあいいわ、あとはお母さんが何とかしてるでしょ)
Taka嫁
心の声、ここでは聞こえるのよ
Taka娘
あっ……

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