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愛知発・史跡巡り~武田信玄狙撃伝説の地・野田城(愛知県新城市)~

愛知発・史跡巡りの第2弾は、長篠城と同じ新城市にある野田城跡です。野田城跡は長篠城址ほど観光用にはなっていない史跡で、狙って訪れないと縁がないのではないかと思います。しかし、歴史好きなら耳にしたことのある伝説の残る地。戦国時代が好きなら訪れる価値はあります。それでは、ぜひ最後までご覧ください。



今回の目的地は野田城跡。
名古屋方面から高速に乗り、東名高速道路の豊川インターチェンジを下りて、国道151号線を北へ・新城市方面に車を走らせます。途中、三河一宮・砥鹿神社を抜けていくその道は、旧街道とまではいかなくてもどこか昭和の空気が残る道です。
やがて、新しくできた国道151号線と分かれて文字通りの旧街道となってすぐ、今回の目的地である野田城があります。
ただし、野田城には目立った目印がありません。車で何気なく通っていると見つけられず通り過ぎてしまうでしょう。
ちなみに、前回紹介した長篠城址もこの道沿いにあります。両者の間は所要時間20〜30分程でしょうか。長篠城址も併せて見に行くのであれば、新東名高速道路の新城インターチェンジから南下するルートも便利です。

野田城の隣・法性寺に立ち寄る

野田城を訪れるとき、必ず一緒に行っておきたいのが、隣にある法性寺です。法性寺に立ち寄るべき大きな理由は2つ。1つは野田城の旧城門があること。そしてもう一つは「とある伝説」を見ること。恐らく、野田城で検索して辿り着いた方はご存知でしょう。

野田城の城門跡をくぐる

法性寺に着き、その駐車場に邪魔にならないよう停めます。本当は、少しお邪魔するご挨拶を兼ねてお話を聞きたかったのですが、見える範囲にお寺の方や参詣の方はいらっしゃいませんでした。
お寺の入口を入ってすぐ、城門跡が迎えてくれます。
訪れたのは11月中旬、平日の朝。ひっそりとした雰囲気と、秋の空気に包まれながら、不思議なほどその存在感に圧倒された気がしました。ここで感じた、どこか心地よい威圧感の理由はどこにあるのでしょうか。結局結論には至りませんでしたが、長年存在していたその城門が背負っている歴史も理由の一つにあったのでしょう。

武田信玄狙撃伝承の地へ

「野田城」が歴史の表舞台に登場するのは、戦国時代。武田信玄が上洛を目指し西へ兵を進めたときのことです。三方原の戦いで徳川軍を倒し、そのまま西に兵を進めた武田信玄の軍は、野田城を落として入城し、しばらくそこに留まったのち、何故かそこから西に向かわず北上を始めます。
「遠征の道中に発症した(あるいは元々思わしくなかった)武田信玄の病が悪化し、この地で西上を諦め帰路についた」……と、これが現在における一般説。
しかし、野田城にはもう一つの説が存在します。

「武田信玄狙撃」の伝説

「武田軍が野田城を攻めたとき、守備兵の中に笛の名手がいた。夜になると武田軍の陣中にも聞こえてくるその音色は美しく、武田信玄も笛を聴くために高台に登り、音色を楽しんでいた。武田方が音色を聴きに高台に来ることに気付いた城兵は、笛の音色に聴き入っているその人影に向かって銃を放つ。弾はその人影に命中したようだが、その直後から武田軍は騒がしくなって動揺が広がっていった。一般の兵士やそこそこの武将くらいではあそこまで動揺しないはずで、弾が命中したあの人影は総大将・武田信玄に違いない。事実、野田城落城ののち武田軍はそのまま動けず、結局引き返すために進路を変えて北上することになり、武田信玄は帰路の道中で亡くなった」
何も見ずに私の記憶で書いたので、多少異なる部分があるかもしれませんが、そこはお許しください。

伝説の地へ

法性寺に立ち寄るべきもう一つの理由……それは、伝説の中で武田信玄が撃たれたとされる場所がお寺の中にあるからです。
お寺には、案内用の看板もあります。

木々の間を抜けて、高台に上っていくと……

ありました。武田信玄が撃たれたとされる場所です。今は木々が繁っていて見えませんが、当時はもう少し視界が良かったのでしょう。
2023年の大河ドラマ「どうする家康」で、ドラマの内容が史実とかけ離れているのではないかとよく話題になっていますね。私も物語前半で、火縄銃が(まだ高値なうえに生産体制も整わず)流通していないことがある程度明らかになっている年代に、岡崎あたりの地方豪族同士が鉄砲隊でパンパン撃ち合っている様を見たときは興醒めしてしまいました。また、戦国時代当時の火縄銃も本来撃つためにかなりの時間を要しますからね。
「来たぞ!撃て!」
「バーン」
といったタイミングで撃つなどできなかったわけで。「いやいや、時代が入り乱れているだろ」みたいな。
その違和感を例えるならば、バブルの頃の風景として、ディスコのお立ち台で踊る「お姉様方」を観客がスマホで動画撮影してTikTokに上げているような感じでしょうか……
(とか言いながら、大河ドラマは結局最後までしっかり見ています 笑)。
そんな私ですが……伝説については、それが実際にどうだったかとかは気にしません。「伝説が生まれた」ことも歴史のひとつであり、そこに関しては史実と同一かどうかなど私にはどうでもいいことです。「武田信玄がここで撃たれたものとして、想像しながら史跡を巡る」のが単純に楽しいだけです。
あ。
かなり話が脱線しましたね。
その場に立って「撃たれた武田信玄」の気持ちを考えながらしばらく過ごすと、どことなくその時代に戻ったような気持ちになります。さすがに笛の音までは聞こえませんでしたが。

法性寺を後にして、野田城跡へ

野田城への道。そこには普通に民家があり、(多分)建設会社の敷地が広がっています。ごくごく普通の森の中に、野田城跡がひっそりと存在しています。
現在は、前述の大河ドラマの影響でしょうか。のぼりが立っていて、近寄れば分かりやすくなっています。

野田城跡はこの森の中。もちろん当時は木々はほとんど存在していなかったのでしょう。
まずは本丸跡地に向かいます。

本丸

お城の中心部である、本丸の跡地に辿り着きました。……とはいえ、歩いてそれほど時間がかかるわけではありません。
木々に囲まれたその場所は、かえって「廃城当時のまま」を感じられます。お城の建物の存在も、イメージを膨らませなければ認識できないほどです。それでも、どこか厳粛な空気に包まれているのは、恐らく周囲のお堀跡と、中心部の祠のせいでしょう。
そして、本丸の隅に……見つけました。

信玄公狙撃場所

隣の法性寺で笛の音色に聴き入っていた武田信玄を撃ったと伝えられる場所です。
静けさの広がる、森の息吹を感じられる場所ですが、今の世の中では、ここで笛を吹いても音色はどこまで届くのでしょうか。風の音・自然の音……当時の逸話などで度々目にする「音」は、今の世の中で聞ける場所やタイミングは限られるのかもしれませんね。

二の丸から三の丸にかけて

本丸から続く道は平坦でなく、自然とのお付き合いをしながら進んでいかなければいけません。足下に注意しつつ、当時多くの兵士達が往来したであろう場所を歩いていきます。
本丸跡から続く道にある井戸跡などの跡地、そして当時の守りの固さを想像させる堀などの跡。お城としては、単体で観光地になるほど大規模なものではないですが、それでも要所に備えを施す工夫が見られます。

野田城を巡って

イメージでは、もう少し大きな規模のお城かと思っていました。逸話の影響もあったのかもしれません。しかし、その規模でありながら(規模と比較して)大きな役割を果たせた理由は、備えの工夫を見ると分かります。
あとは、逸話はともかくとしても、武田信玄がそれなりの期間ここに留まったことは確かなようです。前述の説明のとおり、歴史を見ると、この場で上洛のための西進を諦める最終決定がなされたのでしょう。
本丸跡に少し留まり、武田軍の評定(軍議)の様子を思い浮かべていると悔しさが伝わってきて、木々から運ばれる酸素がそれを優しく慰めてくれているようにも感じられます。

次回は、このまま時系列に従って、二つの信玄塚を紹介する予定です。

Taka嫁
伝説の地、気になるところね
Taka娘
どうせ、お父さんみたいな嘘つきさんが広めた噂でしょ?
Taka
お父さんみたいって……
Taka嫁
でも、史実はどうか別として、そういう伝説ができる下地はあったということね
Taka
うん。足利将軍家から「上洛してくれ」という要請が来て、名目上はそれで都(京都)を目指していたはずだからね。それが、三方ヶ原の戦いで徳川家康に勝って表面上順調だったのに、この野田城に滞在後方向転換して引き返したから「何かあった」のは事実とされている。一般的には体調悪化という説が強そうだけど
Taka娘
はいストップ!
Taka嫁
変な語りスイッチが入りかけたところで、うまく切ったわね
Taka娘
いやもうしっかりスイッチ入っていたからね。もっと早く切らないと
Taka
……

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